2018/02/25

健全な教会を建て上げよう!~第46回年次総会を迎えて~

2018年2月25日
聖書:エペソ人への手紙4章11~13節
説教:滝田新二牧師   

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。


序、今日は午後に、「第46回の年次総会」の開催予定です。総会は聖徒の交わりの時です、そして教会のビジョンを確認し、分かち合い、主への献身の時です。今日の総会の備えとして今朝は、エペソ人への手紙から「健全な教会について」祝福の御言葉を受けましょう。


1.  聖徒とは? (4;11~12)

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、

 「聖徒」というと、あなたはどのようなイメージがあるでしょうか? 多くの人は、アッジシのフランチェスコやマザー・テレサなど、ずばぬけて優れたクリスチャンのことだと考えます。しかし、聖書では「聖徒」という言葉は、すべてのキリスト者に対して用いられています。私たちは等しく主の御前では「聖徒」です。この世界に聖人はいません。聖人は罪を犯さない人です。罪を犯さなかったのはイエス様だけでした。この地上には罪人しかいません、しかし、罪人には2種類の罪人がいます。第1は、罪を認めず、悔い改めず、まだ罪を赦されていない罪人と、第2は、自分の罪を認め、罪を悔い改めて、イエス様を信じて、主に罪赦された罪人です。その罪赦された罪人を聖書は「聖徒」と呼んでいます。
イエス様を信じる者は、イエス様の十字架の血によって罪が赦されただけでなく、きよめられて、「聖徒」へと変えられたのです。主は、すべてのクリスチャンを「聖徒」と呼び、すべての「聖徒」が主に仕えるように願っておられるのです。
あなたも、主に愛され、選ばれた聖徒として主に仕えましょう!皆さんアーメンですか?


2.  聖徒の奉仕の働き (4:11~12)

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また
教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、

 次に「奉仕の働き」という言葉に目を留めましょう。聖書は誰が「奉仕の働きをする」と教えていますか?
ここには、「使徒、預言者、伝道者、牧師」という人々が出てきます。「奉仕の働きをする」のはこういう人たちだと思われがちですが、そうではありません。教会の指導的な人々の役割は「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせる」ことです。奉仕の働きをするのは、聖徒たち、つまり、私たちひとりひとりなのです。

昔、世の光の放送伝道の羽鳥明先生がおっしゃいました「日本では、未だに多くのクリスチャンが、伝道や教会の仕事は牧師や役員がすることと考えている人がいます。それは、大勢の人が乗っている船を、船頭がひとりで進ませようとするようなものです。だから、日本の伝道が進まず、教会が成長しないのだ。

教会という船に乗るみんながこぎ手になり、牧師が舵を取るという聖書の原則を実践しよう。」と語られました。
教会が船で、信徒がこぎ手であるというのは、とても分かりやすい譬えです。
みんながこぎ手になれば、船は早く進みますが、誰かがそれをリードしないと、船はまっすぐ進みません。
右に曲がり、左に曲がり、同じ所をぐるぐる回るだけになってしまいます。悪くすればバランスを失って転覆します。
皆さんも見たことがあるでしょう。ボート競技では、ボートの先頭に座って、ボートを漕ぐ人に指示を与えている人がいます。その人が漕ぎ手のペースを決めて、みんながいっしょにボートをこぐことができるようにするのです。
教会では、牧師がその役割をします。牧師を通して示される主のビジョンと神の御言葉によって方向を示され、示された目標に向かって、みんな進んでいく教会は健全で、幸いです。

では、「奉仕の働き」が目指す方向は何でしょうか?使徒パウロは「キリストのからだを建て上げるため」であると語っています。それは、キリストの体とは教会のことです。教会は建物ではありません。イエス様を信じる人々の交わりが教会です。私たちひとりひとりはキリストの体の一部分です。
伝道者、牧師たちは、キリストの体の骨格や神経のような働きをしますが、骨格や神経だけでは体は、生きて働くことはできません。骨格に筋肉がつき、筋肉に血管が通り、その血管に心臓から新鮮な血液が(聖霊様のいのちが)流れて、はじめて、体は生きて働きます。教会が成長するためには、すべての聖徒たちの、愛の奉仕と献身が必要なのです。
奉仕する者にはどんな態度が求められているのでしょうか? 「しもべ」として仕えることです。
ここで「奉仕」と訳されている言葉、ギリシャ語の「διακονίας,ディアコニア」には「しもべとして仕える」という意味です。教会の働きは、どれも「しもべとして仕える」ことです。決して、誰かの上に立って、他の人を支配するものではありません。この世の団体や組織では、役職や仕事を任されたりすると、それが「特権」となり「権力」となることがあります。特に政治の世界では、人々を支配するようになります。 
●でも、イエス様は、おっしゃいました。(マタイ20:25~27)
20:26 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
20:27 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

奉仕は、イエス様が、私たちに仕えられたように仕えるのです。あなたも、神と人々に、家庭や学校で、職場や教会で仕えることです。たとえ人に認められず、褒められることがなくても、なすべきことに励むのが、キリストの弟子です。 
実は、「奉仕」(διακονίας,ディアコニア)という言葉から、「執事」、ギリシャ語で「ディアコノス」、英語の「ディーコン」という言葉が生まれました。「執事」のもともとの意味は「仕える人」です。 私たちの教会には、しもべとして仕える献身的な兄弟姉妹がたくさんおられます。礼拝の奉仕や賛美の奉仕、CSJY、成人クラス、小グループ、6つのミニストリー、GH,、また普段見えない、ウイークデーの教会奉仕者、会堂のメンテナンスの奉仕者、植栽や芝生やお花の手入れの奉仕者、毎週の会堂清掃奉仕者、フェローシップのお菓子をいつもささげてくださる方、財務の奉仕者、執事の兄弟姉妹、そして背後でいつも教会のために、牧師や兄姉のためにお祈りという最高の奉仕をしている兄弟姉妹! 
数えたら数えきれない沢山の奉仕者によって私たちの教会の伝道は前進し、成長しています。
こういうわけで、私たちクリスチャンは人々に仕えるしもべになりましょう!それが健全な教会を建て上げるのです。
あなたもキリストの愛の心、しもべの心を持って、「奉仕の働き」に励みましょう! 皆さんアーメンですか?


3.  聖徒を整える  (4:11~13)

4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また
教師として、お立てになったのです。
4:12 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、 

「牧師の務めについて、聖徒たちを整えること」であると、聖書は教えています。
「整えること」(καταρτισμὸνカタルティスモン)という言葉は、もともとは医学用語で、骨を折った時、添え木をあてて治療することを表わします。この言葉は、聖書に数多く出てきます。「過ちに陥った人を正す」(ガラテヤ6:1)、「網を繕う」(マタイ4:21)などと使われています。足の骨を折ったら、添え木を当てないと立てません。破れた網はきちんと繕わなければ、漁で使うことができません。そのように、主は、霊的な骨折状態にある私たちをまっすぐにし、破れた網のようになっている私たちを繕って、あなたをふさわしい「聖徒」に整えて下さるのです。
 キリストを信じる者は「聖徒」になりました。聖徒としての新しい性質も与えられました。しかし、それが、私たちの物の考え方、価値観や世界観が変えられて、今までの自己中心から神中心に変えられ、この世の価値観、世界観が、御言葉により価値観、世界観に帰られて、愛の言葉と行動の人に変えられます。もちろんクリスチャンの聖化、霊的成長と成熟には、時間と訓練が必要です。この世の物欲、この世のライフスタイルから解放されていないクリスチャン、心の傷が癒されないクリスチャンがおられます。罪のために歪んでしまった物の考え方が正され、傷ついた感情が癒され、間違った態度や行動は修復されなければなりません。
それが「整える」という言葉が意味していることです。 「聖徒たちを整える」とは、「奉仕者」として成長することです。いつも誰かにお世話してもらわないと信仰生活がやっていけない、これは幼子です。主は、あなたが「聖徒」として成長することを望んでおられます。

4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

あなたが、イエス様を信じ、救われたのは、あなたが整えられて、霊的に成長し、今度は家族やクラスメート、職場の同僚たち、教会の人々に仕えるようになるためです。 あなたが成熟したクリスチャンになることです。こうしてキリストの体である教会は健全に建て上げられて、教会が成長し、この地域に主の福音を届け、主の愛と祝福をもたらすようになります。教会は、将来に向かって前進することができます。「ミッション・オアシス」の主のビジョンが実現し、主の栄光が現されるようになります。皆さんアーメンですか?


●結論:「あなたも健全な教会を建て上げよう!」

教会には2つのタイプ・型があります。皆さんはどのタイプの教会を希望されますか?

第1は、「レストラン型の教会です」
レストランとは、どういう所でしょうか? 人々は、美味しいものを求めてやって来ます。綺麗なテーブルクロスとお花やキャンドルでロマンチックな予約席に、今日は、どんなお料理を出してくれるんだろうかと胸を弾ませて座って待ちます。ところが、お皿が汚れていたり、料理が遅くて、待たせられたりしたら、どうするでしょうか?ボーイさんを呼んで、文句言うのではないでしょうか? 自分の期待に応えてくれないからです。そして別のレストランへ行きます。皆さんはこういう教会がいいですか?

第2は、「料理教室型の教会です。」 
皆さん料理教室に通われたことがありますか? 私が最初に赴任した関西の武庫之荘の教会では、毎月1回お料理教室がありました。妻の理栄子は、スタッフとしてお料理の先生と一緒に前の日から、買い出しに行って、まず素材を選びます。そして野菜やお魚を洗うのです。こうして料理します。さらに器を選びます。そして、やっと食べます。するとすぐに、汚れた器を洗い、片図けるのです。そして最後はお金を払う。しかし、こうしてやがて、家族に美味しいお料理を振る舞う事が出来るのです。  皆さん、私たちが目指す教会はどちらでしょうか? 
そうです。料理教室型の教会です。家族やお友たちに本物を味わってもらうために、「キリストの聖徒」とされた、あなたは、主のしもべとなって、訓練され、率先して人々に仕え、兄弟姉妹と互いに仕え合い、奉仕するのです。
あなたも霊的に成長し、成熟を目指しましょう! そして遣わされた生活の場所で「主は素晴らしいと告白しましょう!」
こうして「健全なキリストの体である教会をご一緒に建て上げましょう!」 皆さんアーメンですか?

お祈りいたしましょう 「私たちひとりひとり罪と滅びの中より、選び出し、イエス様を信じる信仰により聖徒としてくださった主イエスキリストの父なる神様、感謝をいたします。私たちは神の子となり、栄光のキリストの体である教会の一員された特権を感謝します。それは、教会に集まり、礼拝をささげ、家庭や学校、職場に遣わされ、主の愛と祝福を注ぐためです。私たちの教会がこれから全員が奉仕者となり、イエス様のしもべの心を持って神と人々にお仕えして、健全が教会を建て上げられ、『ミッションオアシス』の主のビジョンが実現することが出来ますようにお導き下さい。主イエス・キリスト様の御名によってお祈りいたします。アーメン。」

2018/02/11

人に従うより、神に従うべきです

2018年2月11日 信教の自由を守る聖日
聖書:使徒の働き 5章12~32節
説教:滝田新二牧師

序. 2月11日「建国記念の日」は、戦前では「紀元節」と呼ばれた。古事記・日本書紀の神話で、天照大神の子孫である神武天皇が、九州の高千穂の峰に降臨した後、東へと攻め上り大和の橿原(かしはら)で初代天皇として即位した日を2月11日として記念する祭りであった。敗戦後、軍国主義天皇制の象徴として廃止されたが、昭和41年「建国記念の日」として復活した。歴史学では考古学上の確証がないことから神武天皇が実在した人物かも含めて、歴史上の事実とは考えていない。戦前は天皇制と軍国主義教育の根拠とされ、神社参拝を国民に強制し、教会弾圧に用いられた。現在では「信教の自由を守る聖日」として礼拝し祈る。国家への「抵抗権」の御言葉を受けよう。
1.   初代教会の宣教の戦い  (5:12~28)
初代教会は爆発的に成長した。最初120人から、ペンテコステの聖霊降臨の恵みによって、弟子は3千人に増え(2:41)、さらに男だけでも5千人を数えるに至り(4:4)、「主を信じる者は男も女もますます増えた」(5:14)。そこで大祭司やサドカイ派の権力者は伝道禁止命令を出した。(4:18)彼らはローマ帝国と妥協した権力者の側に立つ人々であった。彼らは妬みに燃えて、権力に物言わせて使徒たちを逮捕し投獄した。ところが、夜、主の使いが牢の戸を開いてペテロたちを釈放し、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい。」(5:20)と命じた。使徒たちは、再び神殿で教え、再び逮捕された。本来、国家は、私たちの「身体と財産と安全、つまり社会生活など外的な部分のみに」関わるものである。だから私たちの霊的な信仰の領域を支配することはできない。
しかし、歴史は、この世の権力者は高慢になり、遂には神のように私たちの魂をも支配しようとする。
2.   教会の歴史的な戦い
古代社会では、ローマ帝国によって皇帝崇拝を強制されて、クリスチャンと教会を迫害した。日本の戦国時代・江戸時代、教会は弾圧され、迫害された。ヨーロッパの中世や近世の時代、聖書翻訳をしたウイクリフはローマカトリック教会の時代、国家によって火あぶりの刑で殉教した。主イエス様は「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:21)と語り、主ご自身もローマに税金を納められた。パウロも「すべての人は上に立つ権威に従うべきである」(ローマ13:1)と教えて世俗の権力への服従を解いた。宗教改革者ルターは、「神が悪魔に対抗するものとしてお立てになった三つのもの」として①「家庭」②「教会」③「国家」を語っている。人が好き勝手に不法を働き、人を殺すことのないように堕落抑制の装置としての一般恩恵としての国家を主は制定された。
聖書のみことばの教えに従い、私たちは、世俗の権力を認め、尊重し、協力し、税金を納め、良き市民として、法に従う。しかし、世俗の権力が不義の侵略戦争を始めたり、不遜にも私たちの信仰の領域に干渉し、偶像崇拝を強制する場合には、私たちキリスト者はこれに「抵抗」しなければならない。
●結論: 「あなたは、人に従うより、神に従うべきです。」(5:29~32)
ペテロたちは、ハッキリと宣言した。「人に従うより、神に従うべきです。」なぜなら、主イエス様があなたを招き、救いの恵みに導かれた。あなたの信仰は、直接、主が下さったものだからである。信仰は主ご自身以外に介入することのできない神聖不可侵な絶対的なものである。そして伝道は主のご命令である。(マルコ16:15)信教の自由は日本国憲法で「基本的人権」として保障されている。しかし、本来、信教の自由、イエス様を信じる自由は、主がくださったものである。私たちのイエス様を信じる信仰と権利は絶対的なものである。あなたの主人も、親も、会社の上司も、校長も、首相も、最高裁長官も、誰もこれを妨害し、禁止することはできない。もし誰かがあなたの信仰と伝道を妨害する時、あなたは「人に従うより、神に従うべきです。」(●例話:朱 基徹(チュ・キチョル)牧師(1897-1944/4/21)朝鮮長老派教会の牧師。神社参拝を拒否して4 回投獄され拷問により、49歳で殉教の死を遂げた。) あなたも絶対の神の御言葉に立ち、家族や人々の祝福の基として歩もう!      主よ感謝します。

2018/02/04

よく聞きなさい ~種まきと4つの土地の譬え話~

2018年2月4日
聖書:マルコの福音書4章1~9節
説教:滝田新二牧師

序.有名なイエス様の種まきのたとえ話である。4つの土地は、私たちのみことばを聞く聞き方のことである。
1. 第1番目の土地は、「道ばた」である。  (マルコ4:3~4・15)
種が畑に蒔かれるとやがて芽を出す。同じように、神のみことばが語られて、私たちが聞いて受け入れて、初めて生きてくる。「道ばた」は何か?みことばを受け入れない頑なな心である。福音を聞いても、現代の多くの人々は、「私には関係ない。関心がない。」と通り過ぎる。心を閉ざして、みことばを受け入れずに、実を結ばない人である。
2. 第2番目の土地は、「岩地」である。  (マルコ4:5・16~17)
岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れるが、根を張らないで、枯れてしまう。みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。自分の生き方や信念は決して変えようとしない人で、イエス様を信じ受洗するが、献金をささげる事、家族の反対、学校や職場で、人間関係や勉強や仕事がうまくいかなくなったりすると、こんなはずじゃなかったと言って、主に従うことをやめてしまう人である。
3. 第3の土地は、「いばらの地」である。  (マルコ4:7・18~19)
「いばらの地」は、芽を出し、育つ。けれども、他のものも同時に生えてくるので、実を結ばない。いばらが心の中にある。世の心づかい(おつきあいや恋愛)とか、富のまどわし(神より、金が大事)、様々な肉の欲望によって、惑わされて、みことばがふさがれ、霊的成長が阻まれて、みことばを聞いても、実を結ばない人のことである。
4. 第4番目の土地が、「良い地」である。  (マルコ4:8~9・20)
20節「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
実を結ぶ秘訣は何か? 「みことばを聞いて受け入れる」ことである。「受け入れる」というギリシャ語は、歓迎するという積極的な意味。良い土地の人は、渇いた喉を水が潤すように、自分から進んで受け入れる。自分の人生や生活が変えられることを心から願って、みことばを聞き、心に受け入れる。イエス様が、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われたのは、このことを指している。主のみことばに集中し、主に「聞き従う人」である。イエス様は、あなたを裁くためにではなく、あなたを愛して、罪の赦しを与えるために来られた。聖霊様の力によって、あなたを変えて、解放してくださる。あなたと家族の全ての必要を満たしてくださる。あなたの弱さを担って、年老いても、背負ってくださる。喜んでみことばに聞き従うは、人生の四季の中で、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ生涯となる。
●結論:  「あなたもよく聞いて実を結ぼう!」
❶ 霊的祝福 (霊的成長)
イエス様の心が与えられる。品性、愛、平安、謙遜、御霊の実を結び、霊的祝福を受ける。(ガラテヤ書5:22-23)
❷ 生活の全領域の祝福
主の祝福は、生活の全領域に拡大する。あなたがイエス様の似姿に変えられ、あなたを通して家族の中に主の祝福が溢れる。あなたの学校生活が変えられ、職場での人間関係が祝福され、ビジネスが繁栄と祝福を受ける。
❸ 宣教の祝福 (教会の成長)
福音が、教会から日本と世界へ。救われる神の家族が増し加えられ、リバイバルが起こる!   主よ感謝します。

2018/01/28

立ってベテルに上りなさい

2018年1月28日
旧約聖書:創世記35章1~7節
説教:滝田新二牧師

序.新年も1ケ月が過ぎようとしている。ヤコブの生涯から現代の私たちへの主の備えと祝福の御言葉を受けよう。
1.    ヤコブの家庭問題  (参照 25:27~34)
❶ ヤコブの家族 
ヤコブは、イサクとリベカの間に生まれた双子の弟で、住まいはカナンの地の南端ベエル・シェバであった。
兄エサウは狩猟が得意で、父イサクに溺愛された。一方、弟ヤコブは母と家にいて、母に溺愛された。
❷ 長子の権利を巡る二度の「騙(だま)し」 (参照:27章)
腹を空かせたエサウは、一杯の豆スープと引き換えに長子の権利を弟に売ってしまった。(25章)これが二人の争いの始まり。ヤコブは、母の勧めでエサウに変装し、盲目になっていた父から長子の祝福の祈りを騙し取る。
2.    ヤコブの逃走 
❶ ベテルの経験 (参照:28章)
二度も騙されたエサウは怒りに燃えて、ヤコブを殺す機会を狙う。それを知ったリベカは、ヤコブを自分の故郷のハランへと送り出す。その旅の夜、石を枕に野宿したヤコブに主が現われ、旅の安全と旅先での祝福を保証した。ヤコブは大いに力づけられ、その所をベテル(神の家)と名付けて、祭壇を築いて、主に誓約した。
❷ ハランでの生活とラバンとの決別 (参照:29~31章)
ハランの伯父ラバンの家に居候し、ラバンの娘、姉レアと妹ラケルを妻とし、さらにビルハとジルパも側室として、11人の男子、1人の女子を設けた。狡猾な伯父にこき使われ艱難辛苦の末、財産を築いて故郷に帰還する。
3.    ヤコブの帰還
❶ ヤボクの相撲と兄エサウとの和解 (参照:32~33章)
ヨルダン川の支流ヤボク川に来たとき、兄エサウが武装して出迎えに来たとの知らせを聞いた。 恐怖に陥った
ヤコブは、兄エサウにプレゼントを贈り、和解を成立させた。その前にヤボクの渡しで神と相撲を取る経験をした。ヤコブは、自分の腿のつがいを外され、主の御前に砕かれる経験をする。名前をイスラエルと主は変えられた。
❷ 娘ディナを巡るトラブル (参照:34章)
娘ディナが、カナン人の異教文化に憧れ、シェケムの町でレイプの被害に遭う。怒ったヤコブの息子たちは、シェケムの住民を騙して虐殺し略奪した。その時、35:1「立って、ベテルに上りなさい」の主のご命令が与えられた。
●結論: 「立って、あなたのベテルに上りなさい」 (35章1~7節)
❶ 初心に戻ること (主との原点に戻る)
20年前のベテル(神の家)に戻り祭壇を築けとの主のヤコブへの命令は、霊的原点、初心に戻れということである。あなたも「あなたのベテル」に立ち返ろう。信仰の原点、イエス様を救い主・人生の主として信じ、主に従おう!
❷ 身をきよめる  (悔い改めて、霊的生活を立て直す)
  ベテルでの祭壇の再建は、ヤコブの家庭の再建、霊的生活の再建であった。家庭が乱れ、娘ディナを巡る不祥事は、家庭の中に異国の神々が入り込んでいたからである。偶像を捨て、清められる必要があった。現代は世俗化(神中心➡人間中心)の時代。TV,ネット、スマホは便利だが、ゲームやポルノが子どもたちを侵食している。
将来のギャンブル・サラ金・ポルノ依存症の温床であり、将来の幸せな結婚を破壊する不倫の温床でもある。家庭と子どもたちを、サタンの攻撃から守る責任が親にある。家庭礼拝で祈りの祭壇を再建し、霊的祝福を受けよう。
❸ 感謝の祭壇を立てる (祝福の源は主であることを認める 35:10~12)
あなたの信仰の初心に戻り、主に感謝し什一献金を献げ、ヤコブのように主の祝福を受けよう。主よ感謝します。

2018/01/21

再出発の恵み ~ペテロのケース~

2018年1月21日
聖書:マルコの福音書14章66~72節
説教:滝田新二牧師

序.今日は阿部純兄の信仰回復の幸いな証を伺った。使徒ペテロの信仰の回復の恵みの御言葉を受けよう。

1.  ペテロの信仰挫折の序曲  (14:54)

イエス様が受ける裁判で、ペテロは 「遠く離れて従う」という行動をとった。これが、イエス様の否定という重大な失敗への序曲なのである。私たちが、礼拝の恵み、信仰の交わりから離れていくのが前兆である。 
❶自信過剰と他人への軽蔑: (11:29)「みんなが裏切っても、私は裏切りません」
❷小さな失敗と不服従: (11:37)「ゲッセマネでの居眠り」主イエス様が祈りの助けを一番必要としておられる時
に、不甲斐無くも眠ってしまった。 
❸狼狽と逃走: (11:50)主が実際に逮捕されてしまうと、今度は一転、うろたえて、一目散に逃げ出した。

2. ペテロの3度の否認

❶ 1回目の否認 (66~68節)   
ペテロの顔は、たき火で顔が写し出され、「あんた、あのナザレ人、イエスといっしょにいたよね!」女中の指摘に隙をつかれたペテロはうろたえる。そして思わず弁明し、ガリラヤ方言で、否定する。
❷ 2度目の否認(69~70節)
追い討ちをかけるように、周りの人々も「あんたも仲間だろう」と言った。彼は、むきになって強く打ち消してしまう。
❸ 3度目の否認(70~72節)  
ペテロは、呪いを込めて否定する。呪いを込めてとは、嘘ならば地獄に落ちてもよいという意味である。すると、鶏が2度鳴いた。ルカ福音書では、この時、イエス様が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。』主の言葉を思い出した。赦しと慈愛にあふれた優しい主の眼差しに、ペテロは自分の不甲斐無さ、意志の弱さ、臆病さ、裏切った後悔が込み上がって、大声で男泣きした。この涙がペテロの信仰回復の第一歩である。 この悔い改めから信仰の回復の恵みが与えられる。
 
●結論: 「あなたも再出発の恵みを受けよう!」  
 
❶  自分が強い、大丈夫と思う人ほど弱く、敗北しやすい
ペテロの勇敢さは、危機に際して何の役にも立たなかった。自分の脆さが露呈した。人間的な力による献身であった。自分の力により頼まないで、徹頭徹尾、主により頼む信仰のみが私たちを守る。 弱さを正直に認めよう。
❷  失敗は、すべての終わりではない
  あなたの失敗を通しても、主は御業を現される。主はペテロの失敗を見越して、信仰回復のために、ゲッセマネの園でとりなしの祈りを捧げていた。だから、ペテロは立ち直ることができた。主の憐れみと赦しによって、私たちは回復できる。その上、ペテロは、失敗と回復を通して、より深いイエス様への愛と信頼へと導かれた。失敗が祝福の泉となる。主にあってマイナスはプラスになる。
❸  回復のステップは真実な悔い改めから
 ペテロは率直に、しかも直ぐに心から悔い改めた。彼が大声で「泣いた」という動詞は継続で、嘆き続けたのである。この真実な悔い改めを主は受け入れた。 あなたも聖霊様に示される時、素直に主の前に悔い改めよう。そして、主に立ち返り、主の赦しと癒しを受け、主の豊かな恵みにあずかろう! 再出発の恵みは、いつでも備えられている。 
だから、今年も主イエス様と共に幸いな恵みの道を歩もう!                      主よ感謝します。

2018/01/14

将来と希望を与える計画

2018年1月14日
旧約聖書:エレミヤ書29章1~14節
説教:滝田新二牧師

序.新しい年を迎えて、国内外の政治・経済は厳しく、前途洋々とは言えない。先週、新年聖会が開かれ聖契神学校長の関野祐二先生がエゼキエル書22章から素晴らしい講解説教をされた。エゼキエルと同じ、バビロン捕囚時代活躍した預言者がエレミヤ。エゼキエルは捕囚の地で、エレミヤはエルサレムで活躍した。厳しい現実の中でも、主が約束された「将来と希望を与える計画」の確かな祝福の御言葉を受けよう。

1.  バビロンに定着せよ   (29:4~7)
 (1)  仕事も家庭も根を下ろしなさい (29:5~6)
エレミヤは、「捕囚となった異郷の地バビロンに根を下ろし、その地で繁栄し、将来の帰国のために地ならしをし、将来に備えて今は力を蓄えなさい」と勧めた。あなたが今遣わされている家庭や学校、職場にしっかりと根を下ろして、落ち着いて子育て・家事に励む、学校で主のために学び将来に備える、また職場で、神の召命観に立ち、忠実に働き、主に仕えるように、上司やお客様に仕えること。今年、深く根を下ろそう!
(2)  バビロンの繁栄を求めよ  (29:7)
エレミヤは、「バビロンの繁栄を求めよ」ともっと積極的に勧めている。つまり、あなたが捕囚の地で繁栄するだけではなく、あなたの存在によって、その地域が繁栄するように祈りなさい。私たちは、この地上では、旅人であり、寄留者。本当の故郷は天国にあると信じている。でも、この世に対して否定的、消極的な態度を取ることなく、神の民・忠実な市民として異教社会の中でも働き、納税し、地域に仕えよう。世の光、地の塩としての役目を果たそう。
 
2.  主のご計画に目をとめよ  (29:10~11)
主は素晴らしい計画を持っている。『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。』 バビロン捕囚は70年で終わる。そして祖国に帰ることができると宣言する。実際に、バビロン帝国は、メゾ・ペルシャ帝国によって滅びる。ペルシャのクロス王によって、イスラエルは解放され、約束の地に帰ることになる。 主は、あなたにも、ご計画を持っておられる。
(1) 「平安を与える計画」 : イスラエルの民は奴隷となり、捕囚のバビロンの地で絶望していた。真の主なる神への信頼が欠如していたからであった。主は、「平安(シャローム)」を与える計画を持っている。シャロームとは、満ち足りた状態、欠けのない状態で、現在と将来の平和と繁栄を示している。神のさばきによる捕囚であったが、悔い改めて、主に立ち返るならば祝福される。(参照:エレミヤ24:5-7)
(2) 「将来と希望を与える計画」: 主の計画は、近い未来と遠い未来の祝福を約束している。近い未来とは「70年後の捕囚からの帰還」であり、遠い未来とは「救い主キリスト様の来臨と十字架の救いの実現」である。
主は、あなたと家族にも、近い未来と遠い未来に、希望を与えるご計画を持っている。(イザヤ43:18・19)

●結論: 「主の計画の実現のために祈りなさい!」 (29:12―14)
主は、あなたの人生に将来と希望の計画を持っておられる。主のご計画が実現するために、一番大切なことは、あなたがいつも主を求め続けること。人生の最優先(プライオリティ)は、心を尽くして主を求めることである。
12節「祈り」は、ヘブル語で「תְּפִלָּה,パーラール」で「とりなしの祈り」である。「将来と希望の計画」を受け取るために、互いにとりなして祈り合うことが大切である。希望を見失っている人々に、将来への希望を与えるために、教会はこの地に存在している。(例話:賀川 豊彦(1888~1960年、4歳で両親を失い、結核となり苦難の中で、主を求め、ついに将来と希望の計画を見出した。)(マタイ6:33) 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」今年、神ファーストの生活をしよう!主よ感謝します。

2018/01/07

2018年、深みに漕ぎ出だせ

2018年1月7日
聖書:ルカの福音書 5章1-11節
説教:滝田新二牧師

序.新年最初の主日礼拝で、「深みに漕ぎ出して網を降ろしなさい」というチャレンジの御言葉を受けよう。

1. 主のチャレンジ(5:1~5)
イエス様がペテロの舟から群衆に語られた。主は、「深みに漕ぎ出して、網をおろせ」と、3つのチャレンジをされた。
(1) 諦めに対するチャレンジ
ペテロたちは、夜通し漁をしたが一匹も魚が獲れなかった。彼らは、これだけやっても駄目だからもう駄目だと諦めていた。その証拠に網を洗っていた。それを知りつつ主は、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と挑戦された。あなたも、諦めていることはないか? 学校や仕事、家族のことで、伝道のことで諦めはないだろうか?
(2) 常識に対するチャレンジ
漁師であるペテロは、漁のベストタイムは夜であると信じていた。静かな夜であれば、魚も、光に寄って来る。漁師の常識であった。しかし、大工のイエス様が、太陽の昇っている朝、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と命じた。あなたも、固定観念から自由になる必要はないか? 伝道や家庭や学校、仕事でも主の導きであったならば、時には常識外れの事、計算を度外視してチャレンジしよう。(例話:箱根駅伝で、4連覇の青山学院大の原晋(すすむ)監督のモットーは「常識を疑え!」)さて、あなたの常識に対する主のチャレンジは何だろうか?
(3) 霊的深みへのチャレンジ
イエス様のチャレンジンは、信仰の深み、愛の深み、希望の深みへの挑戦である。あなたにとって霊的深みへのチャレンジとは何か? 聖書通読、デボーションで主との交わりを深めること、DTCの弟子訓練、家族や友を愛し仕える、伝道の実、愛の実、忍耐の実などの御霊の実を結ぶことだろうか?熱くも冷たくもない、ぬるま湯のような信仰生活に満足しないで、もっと熱く祈り、聖書を読み、真剣に伝道して、霊的な深みに漕ぎ出そう!
2.  ペテロの応答  (5:5)
 ❶ 主に従うスピリット
  ペテロは、「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみ
ましょう。」と素直に従った。彼の素晴らしい所は、素直に、主の御言葉に従う、主に従順するスピリットである。
こういう人は、必ず成長し、主に豊かに用いられる。
❷ 再チャレンジのスピリット
網はすでに洗って、畳んであったが、ペテロは、もう一度網を拡げて再挑戦した。あなたも、何度失敗しても、再チャレンジしよう。(例話:パナソニックの創業者、松下幸之助は『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる』と失敗しても諦めない再チャレンジのスピリットを語っている。)

●結論: あなたも大漁の恵みを体験する  (5:6~11)
❶ 大漁の恵み: ペテロは網が裂けそうになるほどの大漁の恵みを体験した。(参照:創世紀26:12)
❷ 献身の恵み:主は、人間の大漁を約束した。世界中の人々をイエス様に、神の国に導く人になると約束された。
《2018年の新年の抱負・チャレンジすること》
❶個人                 
❷家族
❸学校・仕事
❹教会                                                                           主よ感謝します。