2009/07/01

聖霊様に満たされた信仰生活

2009年6月28日
新約聖書: 使徒の働き 2章36〜42節
説教:滝田新二牧師

36. ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。 すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけ たのです。」

37.人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどう したらよいでしょうか。」と言った。

38.そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただく ために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として 聖霊を受けるでしょう。

39.なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、 すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

40.ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救 われなさい。」と言って彼らに勧めた。

41.そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子 に加えられた。

42.そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

序:ペンテコステの出来事の続き。ペテロは群衆に語る。この奇跡は旧約のヨエルの預言の成就であり、ダビデ自身が、主と崇めたお方であるイエス様をあなたがたは十字架にかけたが、主は死より復活した。

1.  どうしたら救われるのか? (36〜41節)

救いを求める人々にペテロは、どうすれば救われるかを語る。 使徒 20:21「ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。」

① 罪を悔い改めること(38節)

(例話:茶室に入る為に、必ず身をかがめて通らなければならない、小さい狭い門“にじり口”がある)救われるために、必ず通らなければならない門とは「悔い改め」の門である。第1ヨハネ の手紙1章9節「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」悔い改めとは、今まで真の神に背を向けて、自己中心に歩んできた神への不従順の数々の罪を悔い改めて、罪の赦しを受けることである。

② イエス様を救い主・人生の主として信じること

使徒 16章31節「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」主イエス様が私の罪の身代わりとなって十字架にかかり、死んで三日目に復活された救い主として信じ、心にお迎えして、これからは人生の主・王として従って行くのである。

③ 信仰告白の証しとしてバプテスマ(洗礼)を受けること (41節)

マルコ16:16「信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」ペンテコステに、3000人が罪を悔い改めて、イエス様を信じて救われ、洗礼を受け主の弟子となった。イエス様を救い主・人生の主と信じたクリスチャンは、主のご命令に従い洗礼を受け、主の弟子となる。

2.  聖霊様に満たされた信仰生活  〜4つの基本〜 (42節)

 42節「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」(例話:大リーガーのイチローは、毎日同じ基本練習から入る。一流選手ほど基本に忠実である。)これはクリスチャンライフの基本である。聖霊様に満たされた信仰生活の秘訣は、この4つである。

① 使徒たちの教えを堅く守る、(聖書の御言葉のミルク)

教会の礼拝や祈祷会、学生会や女性会で熱心に聖書の御言葉を学ぶ。また個人的にディボーションで毎日御言葉を学ぼう。みことばに聴き神の愛と恵み、自分の罪と弱さを知り、聖霊様の力を頂くのである。

② 交わり (神の家族)

交わりとは、分かち合うこと。家族が食卓で、1日の喜びや悲しみを分かち合い、励まし合う。
(例話:ホィートン大学教会のケント・ヒューグース牧師は『交わりとは、「与えること」です。真の交わりは、犠牲を伴います。多くの人たちは、クリスチャンの交わりの楽しさを全く知りません。なぜなら、自分自身を捧げることを学んだことがないからです。教会や各会や小グループに行っても、(他の人々の必要にほとんど気づくことなく)自分自身の必要しか見えていないのです。そして、「ここには交わりはない」と言って去ってしまうのです。本当は周りの人たちに手を差し伸べて、自分の何かを犠牲にしていく時こそ、真の交わりとなるのです。』と語っている。

③ パンを裂き(聖餐式・教会の礼拝)

聖霊様に満たされたクリスチャンは、教会で礼拝を主にささげることを第一にする。

④ 祈り(霊的呼吸)  

みことばが私たちのいのちの糧なら、祈りは霊的な呼吸である。祈りなくして、この世に打ち勝つことはあり得ない。日々の熱心な祈りを通して新鮮な聖霊様の油注ぎと神の力をいただこう。

結 論: 聖霊様に満たされた変えられたクリスチャンとなる。
 静まる時を持って生活をスタートしょう!  御言葉と共に時間を過ごし、毎日を生きることである。成熟したクリスチャンとは、全てにおいて主を信頼し、より頼み、いつも主を求め、従う人である。もし、あなたが、心から願うなら、主に変えられ、聖霊様に満たされた人になる。

例話; 矢嶋楫子の信仰の生涯天保4年幕末の熊本藩の下級武士の家に生まれる。25歳で結婚、後妻として嫁ぎ、1男2女をもうけたが、酒乱の夫の暴力に何度も殺されそうになります。ある日、赤ん坊に向けられて投げられた刀をかばおうと、それが、自分の腕に刺さります。死の危機を感じ、当時女から離縁することは考えられませんでしたが、35歳のとき末の子だけを連れて離婚して実家に帰ります。周囲の冷たい視線に耐えながら、やがて東京で役人をしていた兄の看病で上京します。やがて、学校の教師の免許を取って、これからいよいよ、自分の時代がやってきた!というその時、生涯最大の大失敗を犯します。 兄の所にいた書生さんの1人の妻子ある男性と不倫によって妊娠します。当時、不倫は赦されない罪でした。実家や周囲の猛反対を押し切って女の子(妙子)を出産します。この罪をきっかけに宣教師ミセス・ツルーと出会います。その頃の矢島楫子はヘビースモーカーでした。部屋中が真っ白になってなにも見えなくなるほどの喫煙家でタバコにも苦しんでいました。宣教師ミセス・ツルーに導かれて、矢嶋楫子45歳の時、罪を悔い改めて、イエス様を信じ、洗礼を受け、クリスチャンとなりました。 ここから矢嶋楫子の人生は大きく変わります。 46歳でミッションスクール女子学院の初代校長となります。当時も今もそうだそうですが女子学院には校則が1つもありません。 矢嶋楫子は「あなた方は聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい。」という楫子の言葉が生徒による自治を支えていたそうです。自分自身の挫折体験もあり、当時封建制で差別と苦難の中にあった女性の地位向上のために、また当時、父親のお酒で、娘たちが女郎として売られる悲劇のために禁酒運動と女性の解放を目指して「日本キリスト教婦人矯風会」(日本で最初の女性の団体)の初代会頭となった。当時のアメリカのルーズベルト大統領と懇談し、世界的に活躍しました。89歳の時三度目のアメリカ講演をしています。
 92歳で召された矢嶋楫子についてはクリスチャン作家の三浦綾子さんがその伝記を書いています。(『われ弱ければ—矢嶋楫子伝』)

主よ、感謝します

2009/06/16

聖霊様に満たされて

〜油注がれた主の証人となる〜

2009年6月14日
新約聖書: 使徒の働き2章22〜36節
説教:滝田新二牧師

22.イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。

23.あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。

24.しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。

25.ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。

26.それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。

27.あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。

28.あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』

29.兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。

30.彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。

31.それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。

32.神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

33.ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。

34.ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。

35.わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』

36.ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

序:使徒ペテロは、驚く人々にペンテコステ(聖霊降臨)の出来事の奇跡の意味と油注ぎの祝福を語る。

1.  ペテロのメッセージ  

(1) 主の十字架 (22・36節)

 ペテロは、ペンテコステ(聖霊降臨)の奇跡をイエス様の十字架を信じる信仰に結び合わせるように語る。 ナザレの主イエス様が、キリスト(救い主)であり、全世界の主であり、やがて再臨される方である。そのお方が十字架に架けられた。

(2) 十字架と私たちの関係(23・36節)

 ペテロは、私たちの罪のためにイエス様は十字架に架けられたと語る。つまり十字架と私たちとの関係を明確にした。イエス様が私たち一人一人の罪の身代りに死んだという事実は、私たちが主を十字架につけたと言えるのである。 あなたが、イエス様の十字架による神の救いと結び合わされるために、ペテロは、はっきりと「あなた方は殺しました」と私たちの罪を指摘した。

2. 主の復活の事実と勝利

(1) 死に勝利された主 (24節)

 主イエス様は死を打ち破り、勝利され、人間のすべての罪の力に勝利された。そして、主イエス様を信じる者に永遠のいのちを与えられる。そればかりか、イエス様はよみがえられてあなたと共にいてくださる。勝利の主があなたと共にいてくださるので、たとえ最悪のように思える状況の中でも、最終的な神の勝利が約束されいる。(参照:ローマ8章31〜39節)

(2) ダビデの信仰と私たちの信仰(25〜35節)

 ペテロは、イエス様の復活と死に対する勝利を説き明かすために、ユダヤ人が最も尊敬するダビデ王の信仰を取り上げて旧約聖書の詩篇16篇から語る。 メシヤ(キリスト)はこのダビデの子とされ、ダビデの子孫、ダビデにまさる真の王として来られる。ダビデはそのキリストのよみがえりを信じていた。主を信じる私たちもダビデと同じく復活する。

結論:  聖霊様に満たされて  〜油注がれた主の証人となる〜 (32・33節)

(1) 聖霊の油注がれる器となる (第2テモテへの手紙2章20〜22節)

 聖霊の油注がれる器となるためには、十字架の血潮によって清められることである。罪を悔い改めて、主に用いられる聖霊様に満たされた器となろう!私たちは、聖霊様に満たされて歩むと、不義を捨て去り、義と信仰と愛と平和を追い求める者に変えられる。

(2) 油注がれた「預言者」・「王」・「大祭司」となる

 キリストという言葉は「油注がれた者」という意味で、旧約時代には、「預言者」と「大祭司」と「王」がその任職の時に油を注がれた。つまり、イエス様は真の預言者であり、王であり、大祭司なのである。主を信じる私たちクリスチャンも、聖霊様に満たされて、油注がれた預言者・王・大祭司の務めを担う主の証人となるのである。

① 預言者=主の御言葉を語る預言者・主の証人となる。

② 王=家庭や職場、社会でリーダーシップを発揮するリーダーとなる。

③ 大祭司=人々のために執り成す祈りの人・和解の使者となる。

例話: DVD「エクアドルで5名の宣教師が殉教」南米エクアドルで、1956年1月8日、未開の首刈り族に5人の宣教師が虐殺され、殉教した。雑誌「LIFE」は”愚かな無駄遣い”と非難した。その結果は? 残された未亡人と子どもたちが、再び宣教地に入り、奇跡とリバイバルが起こった。         宣教を殺害した酋長が救われ、献身して牧師となり、殉教した宣教師の一人の息子ステーブは彼から洗礼を受け、宣教師となった。

主よ、感謝します

2009/06/02

ペンテコステ(聖霊降臨)の祝福

~青年は幻を見、老人は夢を見る~

2009年5月31日      
新約聖書: 使徒の働き 2章1〜21節

1.五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

2.すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き  渡った。

3.また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。

4.すると、みなが聖霊に満たされ御霊が話させてくださるとおりに他国のことばで話しだした。

5.さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、

6.この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで  弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

7.彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤ  の人ではありませんか。

8それなのに私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

9.私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポ  ントとアジヤ、

10.フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在  中のローマ人たちで、

11.ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私た  ちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」

12.人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。

13.しかしほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。

14.そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。  「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきた  いとがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

15.今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではあ  りません。

16.これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

17.『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息  子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

18.その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。

19.また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火  と立ち上る煙である。

20.主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。21.しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

序. 『ペンテコステ(聖霊降臨)』の礼拝を感謝します。主イエス様が、私たちの罪の身代わりに十字架にかかり、復活し40日間人々に現れ、昇天して10日後、復活から50日目に一所に集まり祈っていた弟子たちに聖霊様が注がれた記念日である。しかも、この日はキリスト教会が誕生した記念日でもある。

1.  聖霊様を受ける  〜ペンテコステに超自然的な3つのしるしを伴う〜(2:1〜13) 

①  風のような響 (2節)「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。」ヘブル語で「風」「息」「霊」は同じ「ルーアハ」で「風」は聖霊様の象徴であった。

② 炎のような分かれた舌が現われた (3節)「炎や火」は聖霊様を表す比喩として用いられてきた。主は聖霊と火によってバプテスマを授けるお方。(マタイ3:11)また、聖霊様は水の洗いより徹底的に人の罪と汚れをきよめる「焼き尽くす火」(ヘブル12:29)である。「舌」は「言葉」を意味し、福音の言葉を語らせる聖霊様のお働きである。

③ 他国のことばで話し出した(6〜11節)新しい穀物のささげものをささげる「五旬節」というユダヤ教のお祭りの日、ローマ帝国内から敬虔なユダヤ人やユダヤ教に改宗した人々が大勢に宮に集まった。地中海沿岸の15の地域とアジアとアフリカ、ヨーロッパの人々は、みな彼らの国の国語で弟子たちが福音(Good News)」を話しているのを耳にした。

2. 聖霊様の祝福  〜ヨエルの預言の成就〜 (2:14〜21)

①  聖霊による宣教に生きる祝福 3,000人が救われ、教会の誕生と宣教のスタート。以来2000年に渡り、福音は全世界に伝えられて来た。

② 聖霊によるビジョンと夢に生きる祝福17節「Your young men will see visions, your old men will dream dreams.」聖霊様に満たされたクリスチャンは、キリストの愛に変えられて、主からビジョンが与えられ、神の目的のために生きるようになる。

③ 聖霊による聖化に生きる祝福ガラテヤ 5:22-23「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」ピリピ 3:21「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」  
(例話:ミケランジェロのダビデ像)

3.  聖霊様に満たされなさい 「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」(エペソ5章18節)

結 論:  聖霊様に満たされたクリスチャンになろう!

①  大胆に主を求め、待ち望む使徒1章で、弟子たちは主を待ち望み心を1つにして祈っていた。あなたも「私には喜びがない。力がない。主よ、私を聖霊様に満たして下さい。」と大胆に主を求め、待ち望もう。(例話: DVD:「ウガンダのリバイバル」)

② 罪を悔い改めて、きよめられる聖霊様は聖いお方。主の十字架によって罪が赦された者の内にしか住むことができない。もし、あなたの内にある罪を、告白し、聖めらないならば、満たされない。あなたには自分の罪を告白する必要がないか?「もし、私たちは自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪  から私たちをきよめてくださいます。」(Iヨハネ1章9節)

③“御霊に満たして下さい”と祈り、主に明け渡そう!「どうぞこの私を聖霊様に満たして下さい」と日々祈って下さい。 そしてあなたの全てを主に明渡していく事が必要である。あなたの自我は(そうしたくない)と思う。あなたが握りしめているものはないか?自分の中で葛藤があっても最終的には「委ねます。お捧げします!」と祈る者になって頂きたい。その時にあなたは聖霊様の満たしを体験するだろう。聖霊充満で歩もう!

主よ、感謝します。

2009/05/26

父の約束を待ち望みなさい

〜ペンテコステの祝福の前夜〜

2009年5月24日
新約聖書:使徒の働き1章1〜11節
説教:滝田新二牧師

1.テオピロよ。私は前の書でイエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、

2.お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから天に上げられた日のことにまで及びました。

3.イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確 かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

4.彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わ たしから聞いた父の約束を待ちなさい。

5.ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受ける からです。」

6.そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエ ルのために国を再興してくださるのですか。」

7.イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよい のです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。

8.しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサ レム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

9.こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

10.イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た 人がふたり、彼らのそばに立っていた。

11.そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなた がたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たとき と同じ有様で、またおいでになります。」

 序.この使徒の働きは、ルカの福音書の続編である。「使徒の働き」は名前こそ「使徒の働き」と言われるが、実際にはペテロやパウロを通して行われた主の業「聖霊様の働き」の世界宣教の証しである。

1.目に見えるキリスト様の時代が終わった (1:2〜3)

イエス様は十字架の死と復活の後、昇天することをあらかじめ語り、それが私たちにとって良いことだと教えられた。(ヨハネ16:5-7)私たちは、目に見えるイエス様にお会いできればどんなにか素晴らしいだろうと想像する。しかし、目には見えなくても、今、生きている私たちの現代の時代の方が勝る。

2. 聖霊様の新しい時代が始まる(1:4〜5)

(1)「父の約束」これこそペンテコステ(聖霊降臨)である。(ヨハネ16:8)「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」

①聖霊様は私たちに罪を示す。

②聖霊様は私たちを罪の悔い改めと救いに導き、罪から離れさせ、キリストに似た者に変えて下さる。

③聖霊様は私たちにキリストを証しさせる。

(2)聖霊様の新しい時代は、なぜ素晴らしいのか?  

① 旧約聖書の時代: 旧約時代は、神が直接介入されて、人間に律法を与え、善悪を教えられた。

② キリスト様の時代: 神は、受肉して人となられ、人間とは何者であり、何が正しい事か真理を教え、十字架の神の愛と救 いを、直接、言葉と行いで表された。私たちは神そのものと交わる事ができた。

③ 聖霊様(教会)の時代: 主はさらにへりくだられて、実に私たち弱さを持った人間の心の中にまで住んでくださる事になった。 私たちへの神の愛がより深く実現した。そればかりではない。イエス様を信じ、主と1つとされた あなたに聖霊様は内住される。そして聖霊様はあなたを通してご自身を表し、神の御業を行われる。

結 論: あなたを通して神の御業が行われる。〜聖霊様に満たされたクリスチャンになろう!〜

ヨハネ14章12 節「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」  イエス様の活動の大きさよりも、この2000年の世界の宣教の働きの方がより素晴らしい働きである。聖霊様は、世界中のどこにおいても、私たちを用いて、イエス様を信じる人を起しておられる。現在も毎日、世界中で、罪を悔い改め、イエス様を信じる10万人のクリスチャンが誕生している。 使徒の働き1章8節は、神のビジョンと計画である1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」  当時のローマ帝国に支配された世界の中では、片田舎であったエルサレムから始まったキリストの体なる教会の働きは、聖霊様が内住するクリスチャンを通して、世界中にイエス様を証していった出来事が記録されている。ユダヤ人から始まり異邦人まで,「エルサレムからユダヤ全土,サマリヤへ」そして「アンテオケからローマへ,世界へ」つまり「エルサレムから,地の果てまで」である。 泉から湧き出した水が流れとなって川を作り、全世界に注いでいる。私たちの教会もまた、その流れの中にある。私たちは、水たまりになってしまってはいけない。   聖霊のバプテスマとは何か?バプテスマはバプテゾーというギリシャ語の「浸す」という意味である。つまり、私たちの全身全霊が愛の神である聖霊様に占領され、聖霊様に満たされて、生きることである。

(例話:賀川豊彦(1888-1960)聖霊に満たされ生涯を貧民救済と伝道にささげた) 

主よ感謝します。 

2009/05/19

主の祝福は子々孫々に続く

〜 信仰継承の恵み〜

2009年5月17日
旧約聖書:創世記 6章9〜22節
説教:滝田新二牧師

9.これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても全き人であった。 ノアは神とともに歩んだ。

10.ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。

11.地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。

12.神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でそ の道を乱していたからである。

13.そこで神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。 地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼ そうとしている。

14.あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外と を木のやにで塗りなさい。

15.それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。 その高さは三十キュビト。

16.箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口を その側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。

17.わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大 水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。

18.しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、 それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。

19.またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。

20.また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。

21.あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい。」

22.ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。

序. 『私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』(出エジプト20章6節)

「信仰の継承」は主のみこころである。主の祝福は千代に及ぶのが主の約束である。同時に「蒔いたものを刈り取る」のが神の霊的法則である。『自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。』(ガラテヤ6:8 )信仰継承においても、私たちは蒔かないと刈り取りは期待できない。しかし良き種を蒔けば、祝福を刈り取る事ができる。

1. 人は、体と心と霊からできている。

 「主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(1テサロニケ5章23節)
 親から受け継いだ「体」は、持ち物にすぎず、人の本質ではない。「心」は人の本質に近いが「体」同様に持ち物の一つにすぎない。人の本質は、「霊」であり、いのちそのものである。私たちは「体」の事や知的な事柄(勉強)に、莫大な時間とお金を使いながら、霊的な事柄にほとんど時間を使わないとは何と愚かなことだろうか?最も尊いのは託された子どもの「霊」を成長させる仕事なのである。 教育には「体育」「知育」「霊育」の3つがある。一番大切なのは「霊の教育・宗教教育」である。

2. ノアの家族に見る、信仰継承のモデル。

 ノアは家族を救いに導いた。箱船は現代の「教会」であり、主は私たちの家族の救いの為に「教会」を備えられた。そこで親子が共に礼拝をささげるのである。
「わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。」(創世記6:18)
またノアは祭壇を築いた。「ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。」(創世記8:20) 
祭壇とは「家庭礼拝」である。ノアの家族は、アブラハムの家族と同様に欠け多い不完全な家族であったが、人生の様々な場面で家庭礼拝を持ち続けた。ここにノアの家族が罪や不信仰で揺らいだ時にも支え守られた秘訣がある。私たちの家族の危機(失業・病気・イジメ等)にも、家族が一つとなって主の前に出てみことばを聞き、祈ることが家族の救いと祝福となる。

3. 子どもがイエス様を信じ成長するために、3回の回心と悔い改めの機会がある。

 ①『幼児期』:  第一次成長期で、自我の目覚めの時期。罪の責めや良心の呵責を覚えるようになる。個人的に主の前に罪を悔い改めるように導き、十字架の赦しと救いを信じる決心に導く。「家庭礼拝」の継続の秘訣は、ワンパターンに陥らないように色々な聖書物語、テキスト等を用いて楽しく持つこと。

 ② 『思春期』:  中高生の頃は、第二次成長期で、親の信仰から自分の信仰に自立する時期である。聖餐式を初めて受けて公に信仰告白する機会がある。また礼拝やキャンプで2回目の回心、イエス様を救い主と信じるだけでなく、人生の主として従う決心・受洗の決断に導く機会である。部活で教会から離れないように、礼拝を聖別することを教え、試合の日には夕拝に出席する神第一の信仰を励まそう。

 ③ 『青年期』:  社会人となり、社会の誘惑と荒波に揉まれ、自分の生き方が問われ、主に立ち返る時期。ここでもう一度、信仰を確認し、深い回心に導かれ、生涯主につなりがり続けることができる。  

まとめ: 若い日より、礼拝とデボーションを通して、主との人格的な交わり・関係を築くことで真の自立を目指し、クリスチャンとしてのアイデンティティーの確立をめざそう!

また幼い日より『10分の1献金』の祝福を教えましょう。自発的に、神の救いの愛と恵みに対する心からの感謝と献身の信仰の告白として、真心より精一杯、主に献金をささげることが、主に喜ばれ、主に祝福されるのです。『地の10分の1は、地の産物であっても、みな主のものである。それは主の聖なるものである。』 (レビ記27章30節)   英国の首相グラッドストン(1809〜98)は、オックスフォード大学に在学中の愛する息子に手紙を書き勧めています。『お金の使い道については、計画的に用いるのが最善です。特に収入の一部を慈善と信仰のためにささげることは賢明な方法です。これは青年時代からの良き習慣としなさい。このために収入の10分の1より多いことを切望します。』

(例話:中世の偉大な牧者アウグスチヌスは『私の母は、私にとって、二重の母であった』と母に感謝している。母モニカは、彼が青年時代に身を持ち崩し、ローマでの放蕩三昧の生活で、私生児までもうけていた時、ひたすら神に祈って、彼の救いを待ち望んだ。その結果、アウグスチヌスは聖霊様によって突然回心し、救われ、千年に一人の聖者といわれる人物となることができた。母モニカはアウグスチヌスの肉体を産んだだけでなく、実に「彼の心をもう一度生み出す」産みの苦しみをなめた。)

 このように、信仰継承は20年あるいはそれ以上かかる難事業である。毎日の労苦と祈りの積み重ねによって良き実(家族の救い)を刈り取ることになる。信仰継承に終わりはない。 あきらめず、主を信頼し、信仰継承の恵みと祝福を祈り続けよう! 使徒16章31節「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」 

主よ、感謝します。

2009/05/12

神の恵みを受けた女性

〜信仰の母ハンナ〜

2009年5月10日 母の日の礼拝
旧約聖書: 第1サムエル記1章1〜28節
説教:滝田新二牧師

1.エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。 この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子 であった。

2.エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニ ンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。

3.この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。 そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピネハスがいた。

4.その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘た ちに、それぞれの受ける分を与えた。

5.また、ハンナに、ひとりの人の受ける分を与えていた。彼はハンナを愛していたが、主が彼 女の胎を閉じておられたからである。

6.彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんで いるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

7.毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。 そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。

8.それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。 どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

9.シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそ ばの席にすわっていた。

10.ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。

11.そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私 を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私 はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

12.ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。

13.ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。そ れでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。

14.エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

15.ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう 酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。

16.このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、 今まで祈っていたのです。」

17.エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願い をかなえてくださるように。」

18.彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と言った。 それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

19.翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは 自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。

20.日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから。」 と言って、その名をサムエルと呼んだ。

21.夫のエルカナは、家族そろって、年ごとのいけにえを主にささげ、自分の誓願を果たすため に上って行こうとしたが、

22.ハンナは夫に、「この子が乳離れし、私がこの子を連れて行き、この子が主の御顔を拝し、 いつまでも、そこにとどまるようになるまでは。」と言って、上って行かなかった。

23.夫のエルカナは彼女に言った。「あなたの良いと思うようにしなさい。この子が乳離れする まで待ちなさい。ただ、主のおことばのとおりになるように。」こうしてこの女は、とどま って、その子が乳離れするまで乳を飲ませた。

24.その子が乳離れしたとき、彼女は雄牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携え、そ の子を連れ上り、シロの主の宮に連れて行った。その子は幼かった。

25.彼らは、雄牛一頭をほふり、その子をエリのところに連れて行った。

26.ハンナは言った。「おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま。私はかつて、 ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。

27.この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくだ さいました。

28.それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」 こうして彼らはそこで主を礼拝した。

序. 今日は「母の日」です。お母様方の日頃のご労に心から感謝し、主の祝福をお祈りします。 第1サムエル記1章の時代背景は「人々はそれぞれ自分本位に生きていた」(士師21:25)まさに霊的暗黒時代であった。そこで主は一人の神の人を立てられた。主は神の人サムエルを地上に与えるために一人の女性ハンナを選ばれた。 女性は、結婚をして、夫婦の事や子どもを通して真の生きた信仰へと導かれることが多くある。 ごく普通の女性であったハンナも苦しみを通して神の恵みを受けた。

1.  信仰の試練に遭う (1〜8節)

 ハンナには子どもがいなかった。旧約時代「子どもが生まれない」ことは神の呪いと見なされていた。ハンナは、まさに神から呪われているのではないかと思われる状況に置かれていた。これは単なる苦しみというよりも、自分自身の存在そのものが問われる、信仰の試練であった。 ハンナの試練の意味とは何か? 神のみこころが分からなくなった時、神の恵みが見える形においては全く見出し得ない時、それでも、あなたは主に目を向け、主を待ち望み、主に従順するのか?それとも、主に背を向けるのか? それが問われている。

2.  命を注ぎ出す祈り (9〜16節)

 「ハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。」(7節)ハンナは苦しみを表に現している。クリスチャンも泣きたい時には、泣いたらよい。ふさぎ込むことだってある。しかし、主に背を向けてはならない。 10-11節「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて下さるならば」と祈る。これは「私の悩みをしっかりと見てください」という必死の嘆願である。「私を心に留め(remember me)、このはしためを忘れず(not forget)」と言い換えている。しかも、自分を「あなたのはしため(奴隷)」と三回も呼んでいる。

 ここには、神の全能の力への信頼と、徹底的な謙遜さの両方が見られる。つまり、主が望みさえするなら不可能はなく、不妊の女と見られている自分にも男の子が授けられると主に信頼している。 しかも、生まれた子をナジル人(献身者)として、主にささげるとの誓願を立ててまで必死に願った。酔っぱらいと誤解した祭司エリに15節「私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです」と答えた。これは「命」「魂」と訳されるべき言葉である。つまり、ハンナは自分の「命」を注ぎ出し、全存在を主の前に注ぎ出して祈った。祈りを聞き給う主は、人間とは違う。私たちの命、私たちの魂、全存在を受け止めてくださるお方なのである。あなたの祈りと涙は決して虚しく地に落ちることはない。

3.  神の恵みを受ける (17〜28節)

祭司エリは、17節「安心して行きなさい(シャロームの内を歩みなさい)。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださいます(保証の意味)」と祝福する。その後「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」(18)と、ハンナの心に平安(シャローム)が生まれた。もしあなたの心に悩みがあるなら、それと真正面から向き合い、心を主の前に注ぎだす祈りが必要である。心の平安(シャローム)は、このような必死の祈りの結果として与えられる。ハンナはやがて生まれた子を主に献げた。

結 論: 『 信仰の人・祈りの母として生きよう! 』

 苦難の中でも、ハンナが命を注ぎ出し、主に祈り委ねた時、苦難をも突き抜けてしまった。ここに私たちが倣うべき信仰の姿、祈りの姿がある。こうしてハンナは神の大きな恵みを受けた。 ハンナは「この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」(28節)と子どもを自分の所有物であるかのように育てるのではなく、信仰と愛と祈りによって乳離れするまで養い、主に我が子を献げた。今朝、私たちも、子どもや孫を主にお献げしよう! そして、このハンナの母の姿、信仰と祈りをしっかりと心に刻み付け、信仰の人・祈りの人として生きよう!          

主よ、感謝します。

あなたの賜物は何のためにある? 

〜少年のささげた5つのパンと2匹の魚〜

2009年5月3日
聖書:ヨハネの福音書6章1ー13節
説教:滝田新二牧師

1.その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

2.大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしる しを見たからである。

3.イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

4.さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

5.イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。 「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」

6.もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、 しようとしていることを知っておられたからである。

7.ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足り ません。」

8.弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

9.「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜい の人々では、それが何になりましょう。」

10.イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

11.そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

12.そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに 捨てないように集めなさい。」

13.彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、 なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

序. ガリラヤ湖の岸辺で男だけで五千人の人々を主イエス様が「5つのパンと2匹の魚」を祝福して養われた奇跡の物語です。

1. 祝福の秘訣の第一は、「主のもとに携える」こと (マタイ14:18)

8.弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。9.「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜい の人々では、それが何になりましょう。」10.イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

 荒野で空腹な男だけで5,000人を満腹させたのは、わずか「5つのパンと2匹に魚」を主のみもとに携えていったことによるのです。  それはある1人の少年がお母さんからもらったお弁当でした。「お母さん、僕、今日はイエス様がガリラヤ湖の側に来るんだ。だから、イエス様にお会いして、僕イエス様のお話を聞き行きたいんだ。ねえ〜。いいでしょう」 お母さんは、「そうね。それはすばらしいわね〜。じゃあ イエス様のお話を聞き行くんだから、お弁当を持って行きなさい・お腹が空くでしょう。」 お母さんが愛情を込めて作ってくれた焼きたての大麦のパン5つと焼き魚2匹を入れたお弁当をもたせてくれました。 「5つのパンと2匹の魚」のお弁当です。少年は、イエス様とお弟子さんたちが、沢山のお腹の空いた人々の食事をどうしようかと困って、相談しているのえお知りました。この少年が持っているものは、僅かな「5つのパンと2匹の魚」のお弁当だけです。

「これぽっちじゃ。全然足りない、焼け石に水、全然足りない。」男だけで5000人 女性や子どもも入れたら1万5千から2万人くらいいたかもしれません。 でも、この少年は、自分に与えられている、ほんのちっぽけな、わずかなお弁当をイエス様のもとに差し出したのです。主はそれを幾重に祝福して用いてくださったのです。

 私たちの賜物だけではありません。あなたの困難な課題、問題でも、それを1人で抱え込まないで、主イエス様の御前に携えてゆくこと、それが解決と大きな祝福を受ける秘訣です。

2. 祝福の秘訣の第二は、「主の御手に委ねる」こと(マタイ14:19)

11.そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。12.そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに 捨てないように集めなさい。」13.彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、 なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。    

少年が 主イエス様に携えてきて「5つのパンと2匹の魚」。それを主イエス様の御手にゆだねました。イエス様は、そのわずかな「「5つのパンと2匹の魚」を御手に取られ、天に向かって、祝福して祈られました。それを弟子達に渡されて人々に配りました。すると、どーなったでしょうか? それを弟子達が群衆に分け与えたとあります。主なる神は、無限大のお方です。

* 神の祝福の公式とは....        
1+ ∞(無限大)= ∞(無限大)です。      
100+ ∞(無限大)= ∞(無限大)です。   
10,000+ ∞(無限大)= ∞(無限大)です。

まとめ:  あなたの賜物を主にささげよう!

主があなたに与えられた賜物は何でしょうか?勉強の算数? 理科?英語? スポーツ? 音楽・賛美?趣味でも、園芸で、仕事。事業やお金も宣教と主の栄光のためにささげることです。
教会の奉仕、ボランテヤでも まず主のみもとに携えてきて、主にささげることです。そして将来を主にゆだねて、主に従うことです。主の栄光を拝し、主の祝福を受けよう!

2009/04/27

主イエス様はあなたのNo1ですか?

~主はどんな時もあなたと歩まれる~

2009年4月26日
聖書:ルカの福音書 24章13ー32節
説教:滝田新二牧師

13. ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオと いう村に行く途中であった。

14. そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。

15. 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道 を歩いておられた。

16. しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。

17. イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことです か。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。

18. クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事 を、あなただけが知らなかったのですか。」

19. イエスが、「どんな事ですか。」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのこ とです。この方は、神とすべての民の前で、行ないにもことばにも力のある預言者でした。

20. それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架 につけたのです。

21. しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていまし た。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、

22. また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、

23. イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、 御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。

24. それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イ エスさまは見当たらなかった、というのです。」

25. するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、 心の鈍い人たち。

26. キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではな かったのですか。」

27. それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分 について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

28. 彼らは目的の村に近づいたが、イ エスはまだ先へ行きそうなご様子であった。

29. それで、彼らが、「いっしょにお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もおお かた傾きましたから。」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるため に中にはいられた。

30. 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。

31. それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくな った。

32. そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった 間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」

1. イエス様は、あなたの人生の同伴者です。 〜共に歩まれるお方〜(13-16節)   

復活の夕べ、ローマ帝国の圧制からの解放者として待望したメシヤが十字架の死を遂げ、絶望した2人の弟子が、都エルサレムから西の村エマオに行くため日没の夕日に向かってトボトボと歩いていた。  そこに復活の主イエス様が近づかれた。しかし、彼らには分からなかった。私たちが、神はどこかに行ってしまった!と思える時も、悲しみと失意の感覚とは無関係に、主は共におられる。私たちの気分や感情とは、関係なく、永遠に共に歩まれるお方である。主はあなたの人生の同伴者である。

 例話①:詩 『 Footprints (足跡)』

 ”ある夜、私は夢を見た。私は小高い丘に立ち、これまで歩んできた人生の砂丘を振り返って眺めていた。 延々と刻まれた自分の足跡と並んで、もう一組の足跡がついていた。それは、「私は決してあなたを離れない」と約束してくださった、主イエスさまのものだった。しかし、足跡がところどころ、一組しかなかった。それは、私がもっとも辛く苦しかったとき、悲しみのどん底にあったと思えるようなときだった。私は驚いて、イエスさまに尋ねた。「私があなたをもっとも必要としていたとき、どうして私を見放したのですか?」すると、こんな返事があった。「愛するわが子よ。私は一度も、あなたから離れたことはない。あなたが試練にあって苦しんでいたとき、そこに、一組しか足跡が見えないのは、私があなたを背負っていたからだよ。」”

2. イエス様は、あなたの人生の解説者です。〜あなたのエマオ(現実)を解説するお方〜(17-27節)

 困惑する弟子に主イエス様は、旧約聖書からご自身の十字架の死と復活による神の救いのご計画について解き明かされた。ここでイエス様は解説者として聖書を説き明かす。私たちも弟子と同じように、聖書の意味も、自分の直面している現実も理解できないことがある。しかし失望しなくてもよい。主は、あなたの人生に起こる出来事の苦しみの意味や人生の価値と目的を説き明かす解説者である。
 例話②:『人生は刺しゅうの絵』 中世のアウグスチヌスは、「人生とは、刺しゅうの絵の裏側を見ているようなものだ。色々な糸が絡み合いごちゃごちゃしている。しかしやがて天国に行った時に、主は表に描かれた美しい絵を見せてくださる。」 聖霊様は、みことばを通してあなたの人生を解説される。

3. イエスは、あなたの人生の主・王の王です。  〜学校・家庭・職場の主なるお方〜(28-32節) 

① イエス様によってあなたの人生に『主客転倒』が起こります

 弟子たちは共に家に入り、共に食卓に着いた。不思議なことに客であるイエス様が主人のように振る舞う。晩餐でパンとぶどう酒を分かち合う、これは「聖餐式」である。イエス様はあなたの人生の主となる。私たちは人生の主人ではなく、お客にならなければならない。そしてイエス様が主となるのである。イエス様が中心になることで、そこで主が共におられることを私たちは体験することができる。  29節「いっしょにお泊まりください」彼らは復活の主を受け入れた。私たちも謙虚に主イエス様を迎えることである。それは食卓という日常的な場所、生活の中に、主を王としてお迎えすることである。

② イエス様によって、あなたの『信仰と生活は一元化』します。

 信仰と生活の「一元化」が必要である。 食卓は真に霊的な場である。信仰を二元化しなくても良い。私たちは、しばしば生活と信仰を区別する。信仰とお金、信仰と仕事、信仰と学校・家庭と分けやすい。しかし、教会も家庭も職場も同じである。なぜなら、私たちが主と共に歩む所だからである。 家族の団欒、それは分かち合い。神に感謝し、神を崇める礼拝の場でもある。聖餐式というのは、もともとはパンを裂き、ブドウ酒を分け合って食べること。そこでは、喜びも悲しみも分け合う場であり、互いに人格的に触れ合う、霊的な空間なのである。台所は、主婦の祭壇である。  

結 論: 『 主イエス様は、あなたのNo1ですか? 』

 あなたのNo1は何ですか? 家族? 恋人? 部活? 仕事? お金? 主イエス様は、あなたの罪からの救い主だけではなく、あなたの人生の主・王の王である。イエス様は、本当にあなたのNo1 ですか? 毎日、ディボーションで、イエスをNo1のお方として心と生活(家庭・学校・職場)に受け入れ、①『人生の同伴者』②『人生の解説者』③『人生の王』であるイエス様を体験しよう!

主よ感謝します