2008/02/12

再臨を待ち望むクリスチャンの生き方

~賢いしもべと愚かなしもべ~

2008年2月10日
聖書:マタイの福音書24章45節〜51節
説教:滝田新二牧師

45.主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。46.主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。47.まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。48.ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い、49.その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、 50.そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。51.そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。          

1.  私たちは主のしもべである。 (45節)

 私たち人間はしもべで、神が主人なのである。創造の初めにアダムとエバが神に造られた時、人間にとって、神が主である事を忘れないために、エデンの園に、いのちの木と善悪の知識の木を置かれた。主に従順するために、その善悪の知識の木を食べてはいけないという命令を与えられた。しかし、主を主とする事をやめて、サタンに従うように誘惑を受けた。ついに人は主である神に背き、人は主を主としない罪、神を神としない罪を犯し続けて来た。これが原罪である。神への不従順、自己中心が人間の原罪である。 この罪を悔い改めて、主イエス様の十字架による身代わりの死と復活により、罪の赦しと救いを受けた私たちクリスチャンは、あらためてイエス様を主とする者に変えられた。しかし、罪の性質を残している私たちは主を主としない罪を犯す危険がいつもある。 私たちは、主に仕えるしもべであって、主が私たちのしもべではない。

2.  主のしもべには使命がある。 (創世記 1:26  マルコ 16:15)

① 文化命令(世界管理の使命=キリスト者の社会的責任) 創世記 1:26『そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。』 私たちは労働を通して、この使命にあずかる。そこで主の栄光を現す。

② 世界宣教命令(福音宣教の使命) マルコ 16:15『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』 私たちは、家庭や学校、職場で、イエス様の愛と救いを証する。  そして、教会は、この地域(さいたま)と全世界に向かって、福音宣教の使命を委託されている。  

◎片柳教会のビジョン
 《キリストの愛に変えられ、神の目的のために生かされる人生》 
〜地域に開かれた、誰でも安心できる教会を目指して〜 

私たちは、“人々をキリストの救いと安息に導き、人々の人生がキリストの愛に変えられた人生となり、神の家族(礼拝の民)のメンバーとなり、キリストの御丈にまで成長し、神に祈り、教会の奉仕のために整えられ、この地域と世界の宣教に仕え、主の御名が讃えられることをめざす。”

3.  愚かなしもべ (48〜51節)

 愚かなしもべとは? 全く主人の期待と正反対に、管理し世話すべきものを支配する者である。いつしか自分を主として、富も、仕事も、家族も、教会の兄姉も、主から委ねられていることを忘れている。次に「酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めている」これはクリスチャンに対する世俗化の警告である。 この世と同じ価値観、同じ生き方をすれば、聖霊様を悲しませることになる。(2ペテロ3:3-14)

結 論: 私たちは「賢いしもべ」となる (45〜47節)

① 主人に委ねられるしもべとなる。

 主人にとって最も信頼のできるしもべとは? たとえ主人がいなくても、委ねられるしもべである。主は、あなたに働きを委ねて、目には見えない形で私たちと共にいてくださる。私たちの全てを見ておられる。主人が共にいるかのように、日々仕えるしもべは、主人が帰って来たときに、誉められる。

② 主に従うしもべとなる。

私たちの主人である神の語られた通りに従うしもべは幸いである。主と主の器に従順なしもべとなる。

③ 主に祝福されるしもべとなる。 〜主人の全財産を委ねられる(47節)〜

・エジプトの王パロの総理大臣となったヨセフ。(創世記41:38-43) ・ バビロン帝国でネブカデネザル王の長官となったダニエル。(ダニエル2:4-6)

例話:フランクリン・ルーズベルトは、小児麻痺の障害者からアメリカの第32代の大統領となった。
主は、あなたに使命を与え、賢いしもべとなり、主の大いなる祝福を与えてくださる。 

主よ感謝します