〜私はあなたがたに平安を与えます〜
2008年4月20日
聖書:ヨハネの福音書20章19〜23節
説教:滝田新二牧師
19.その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があな たがたにあるように。」
20.こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21.イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22.そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23.あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
序. イエス様が復活された喜びの日の夕方、弟子たちは、なおも不安と恐れに捕らえられて、戸を堅く閉ざしていた。そこに復活の主が来られた。恐れを希望に変えられた主の平安の秘訣の御言葉を受ける。
1. 弟子たちの恐れと不安 〜なぜ?〜 (20:19)
① 人生の目的を失っ た。
イエス様をユダヤの王様、ローマの支配からの解放者・ヒーローと信じていた。しかし、主は十字架の上で釘付けにされ、無力にも死んで行った。その主のお姿は大きな衝撃であった。彼らはイエス様を失い、生きる目標を失って、絶望し、不安と恐れの中にいた。
② 身の危険を感じ、ユダヤ人を恐れていた。 弟子たちは、次は自分たちが狙われると心配していた。
2. 恐れる弟子たちに与えられた平安 (20:19〜20)
「週の初めの日」とは、復活された日曜日で、「新しい時代の初めの日」を意味していた。 世界の歴史は復活の日を境に変わった。私たちも、既に、新しい時代に属する神の民とされた自覚を忘れてはいないか? 主は弟子たちの不信仰や臆病さを責める代わりに、「平安(シャローム)があなたがたにあるように」と宣言された。恐れに捕らわれて「戸をしめて」いたにも関わらず、復活の主は入って来られ、平安に満たされた。十字架の傷跡は死の力に打ち勝たれた証拠である。
「あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去るものはありません」(16:22) 新時代の幕開けである。
3. 派遣される弟子たちへの平安 (20:21〜23)
主はもう一度、「平安があなたがたにあるように」(21節)と言われた。二つ目の「平安」は、患難に満ちた世に「派遣」されるための平安である。この「遣わす」という言葉はヨハネ福音書のキーワードである。たとえば「愛する」は16回だが、「遣わす」はその3倍も繰り返されている。イエス様は「父がわたしを遣わしたように、私もあなたがたを遣わします」と言われた。(「遣わす」:動詞はギリシャ語でアポストローで、使徒はアポストロス“遣わされた者”)イエス様を信じるとは、イエス様が父なる神から遣わされたことを信じることを意味する。御子を御父との三位一体の関係で理解するのが信仰の核心。
主が、あなたを世に遣わされるのは、世の人々が、あなたを通してイエス様を信じるようになるため。
結 論: 聖霊を受けなさい 〜勝利と祝福の秘訣〜 (21〜23節)
主は、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」(22節)と言われた。「土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。」(創世記2:7)創造の御業を想起させる。
弟子たちは、今、聖霊様によって新しく生まれ、再創造された。そしてこの世界で主の代理としての使命を果たすために派遣される。イエス様が「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます」(14:12)と言われた約束がこうして成就する。
しかも、主は「あなたがたを」と複数形で語り、ご自身の息を、ひとりひとりにではなく、弟子の集団(教会)に、吹きかけられた。私たちはひとりで世に遣わされるのではなく、教会の交わりに生きる者としてこの世界に遣わされる。その上で「あなたがたがだれかの罪を赦すなら」(23節)と、教会に罪の赦しの権威を与えられた。「教会の外に救いはない」と言われるように、イエス様は、教会を、この世界で唯一の神の代理として立てられた。神は、罪に満ちた世を愛するために、御子を世に遣わされた。そしてイエス様が私たちに「平安・平和」を与えて、この地に遣わされるのは、罪に満ちたこの世界に、神の和解と平和を実現するためである。
例話: <イエスに遣わされた者の祈り>(神の愛の宣教者会/マザーテレサの創立の祈り)
『 イエス様 私たちがどこに行こうとも、あなたの香を広めることができるよう、助けてください。私たちのたましいをあなたの御霊といのちであふれさせてください。あなたご自身が、私たちを通して輝き、私たちに触れるすべての魂が、私たちの心の中に、あなたの存在を感じることができますように。 人々が、私たちではなく、イエス様、あなただけを見ますように! 光は、すべて、あなたから来るものです。 私たちを通して他の人を照らしているその光は、あなたご自身に違いありません。あなたが最も愛するその方法で、あなたをたたえさせてください。ことばよりは行ないで、あなたのことを伝えられますように。 私たちの行ないを喜ぶ人々によって、励まされた私たちの心が、ただ、あなたのところに導かれますように。“
私たちも、このように祈り、ここから遣わされて行きましょう!
主よ感謝します。
