2010/08/30

神はわれらの避け所、また力

2010年8月29日 
聖書:詩篇 46篇1~11節
説教:滝田新二牧師

指揮者のために。コラの子たちによる。アラモテに合わせて。

歌 46:1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある 助け。

46:2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々 が海のまなかに移ろうとも。

46:3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさ が増して山々が揺れ動いても。セラ

46:4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神 の都を喜ばせる。

46:5 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜 明け前にこれを助けられる。

46:6 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発 せられると、地は溶けた。

46:7 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれ らのとりでである。 セラ

46:8 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた 。

46:9 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍 を断ち切り、戦車を火で焼かれた。

46:10 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国 々の間であがめられ、地の上であがめられる。」

46:11 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれ らのとりでである。 セラ

序.宗教改革者マルチン・ルターは、46篇から有名な讃美歌267 番『神はわがやぐら』を作詞作曲した。ルター自身この賛美に よって困難な宗教改革を進めた。1節の「避け所」は「避難所 ・シェルター」で、主は私たちにとって最も安全な逃込む場所 である。また「力」は元々「砦・城壁」であり、積極的に敵を 滅ぼすことのできる力を意味する。イエス様を信じる者にとっ て主が「避け所」「力」となる時、どのような恵み・祝福がも たらされるのか? 3つの主の祝福がある。

第1は、「恐れない」 (恐れから解放される  1~3節)

詩人はこの地上でどんなことが起こっても恐れないと告白する 。 1節の「苦しむとき」、それは国家存亡の苦難の時を意味 する。この詩篇の背景の出来事はBC701年、南王国ヒゼキヤ王 の時代、アッシリアの王セナケリブによるエルサレム攻撃とい う国家存亡の危機。(Ⅱ列王記18~20章)預言者イザヤの主の 御言葉通りに、主は一夜にしてアッシリアの大軍18万5千人を 撃たれた。 主の奇跡的な救いと勝利であった。ロ ーマ8章31節「 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに 敵対できるでしょう。」

第2は、 「揺るがない」  (4~7節)

2~3節で、不動の象徴である山々が揺らぎ,海の中に移るよう な前代未聞の出来事(地震や自然災害等)に遭遇しても「決し て恐れない」と信仰告白できるのは、主の守りと導きを体験し た者の恵みである。「川や大河」は主の豊かな恵みと守りの象 徴である。  「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決し て渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうち で泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4 :14)と、イエス様はサマリヤの女にご自分こそがいのちの 水・川であると言われた。 11節「万軍の主」とは、地上の 超大国よりも、主なる神こそが世界最強である。その万軍の主 が私たちと共におられるとは、まさに恐れるものが何もない。 「見よ。私は世の終わりまであなたがたとともにいます」(マ タイ28:20)と言われたイエス様は、インマヌエルの神である。 何と素晴らしい約束だろうか。困難や試練の只中にあっても、 私たちの人生は揺らぐことがない。否、人生ばかりでなく、あ なたの家庭も、教会も揺らぐことがない。 あなたは主という 避け所である分厚い強力な核シェルターの中に守られている。 どんなに槍や弓や砲弾が飛んできても届かない、高い城壁に囲 まれている。

第3は、 「静まること(祈り)」  (8~11節)

10節「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」の「やめよ 」とは「力を抜け、手を下ろせ」という意味で、武装解除の命 令である。これは、主に信頼すること。主の前に静まること、 つまり「祈り」である。 

結 論:  御言葉と祈りによって、聖霊様に満たされ歩もう!

「主を避け所とする」とは、避け所である主の中に入って留ま ることである。言い換えれば、いつも主の臨在の中に入って留 まり、いつも聖霊様に満たされた状態にいることである。 私 たちがいつも聖霊様に満たされているならば、御霊によって歩 むことになる。そうすると肉の欲を満たすことがなくなる。( ガラテヤ5章16節)。肉欲から解放されると、罪を犯すこと からも離れる。その結果、罪から来る災いや悩みを避けること ができる。聖霊様に満たされるにはどうしたらよいか? 「祈 る」ことである。祈りは、神と人との霊的な交わり、人格的な 交わりである。主の御前に静まることから、一日を始めよう!  「まことに、あなたの大庭にいる一日は、千日にまさります 。私は悪の天幕に住むよりは、むしろ神の宮の門口に立ちたい のです。」(詩篇84:10) よく祈って聖霊様に満たされて働 く1時間は、そうでない千時間にもまさる。私たちが世に勝つ 者となるために、生活の中で「祈り」を最優先しよう! 

(例話:マルチン・ルター) マルチン・ルターが、「聖書に書いてある通りに、救いはイエ ス様の十字架においてすべて完成したんだ!信じるだけで救わ れる!」と霊の目が開けた時、最高の権威はローマ教皇ではな く、聖書に最高の権威があることを知って、宗教改革を起こし ました。その時、カトリックはもちろんあらゆる人から激しい 迫害を受けました。彼が失望落胆し、立ち直れなくなっている 時、妻カタリーナが喪服を着て立っているのを見ました。「ど うしてそんな格好をしているんだ?誰かなくなったのか?」と 聞くと、彼女は「だって、今日はあなたの神様が亡くなられた 日でしょう?」と答えたそうです。その言葉で、ルターは自分 の状態に気づかされ、「そうだ!『神はわれらの避け所、また 力。苦しむ時、そこにある助け』ではないか!」と聖書の言葉 を握り、再び立ち上がったというのです。  「もう駄目だ。」「もう絶えられない」という時、あなたの主 が来て下さるのです。人生の谷間に落とされる時も、万軍の主 が共にいて下さり、そこに花を咲かせ、光をあてて下さるので す。そして、その時、主こそがあなたの主であり、避け所、と りで、力であることを知るのです。