2010/10/25

洗礼(バプテスマ)の恵み

2010年10月24日
聖書:マタイの福音書28章18~20節
説教:滝田新二牧師

序.教会には、洗礼と聖餐の2つの聖礼典がある。本日は洗礼式が執り行われる。今年7人目の受洗者を与えられた主に感謝します。あなたが洗礼を受けられた時を、今一度想い起こして、洗礼の恵みを共に御言葉から受けよう。

1.   洗礼(バプテスマ)の2つの誤解

① 第1の誤解は、「洗礼を受けなければ救われない。救われるために洗礼を受ける」という誤解である。(参照:第1ペテロ3章21節) 私たちは、バプテスマという儀式によって救われて、クリスチャンになるのではない。主の十字架と復活の救いを知り、救い主として信じ救われたから、洗礼を受けるのである。

② 第2の誤解は、「洗礼は形式なので、信じていれば受けなくとも良い」という誤解である。洗礼を受けるのは、主のご命令だからである。(マタイ28章18~20節)以来2000年に渡り、世界中の教会は洗礼式と聖餐式を主のご命令に従って、2つの教会の聖礼典として授けてきた。

2.   洗礼(バプテスマ)の3つの意味

①  洗礼は、私たちと主イエス様が一つとなる  (マタイ20章18~19節)

主は、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授けなさいと命じられた。「よって」とは「の中へ」という意味で、三位一体の神に結合するという意味する。洗礼が象徴するものは、主と私たちが有機的に結合したことを告白し、確認するものである。先日のヨハネ15章の「ぶどうの木のたとえ話」の主はぶどうの木で、私たちは枝の関係である。

②  洗礼は、私たちがキリストの死にあずかる   ~古い人の葬式~ (ローマ6章3~4節)

パウロは、バプテスマによって古い私たちがキリストと共に葬られ、新しい命に生かされたと語る。洗礼とは、そのような意味を持つ象徴的な行為である。 ギリシア語でバプテスマは「水に浸す」という意味で、初代教会では、文字通り水に浸けていた。私たち教会も、健康に問題がなければ全身浸かる。 これは、古い自分が死んで、水に埋葬されるということを意味した。それと同時に神の栄光と力によって実現したキリストの復活に与ることでもある。
洗礼式は、あなたの古い人の「お葬式」ということである。(ガラテヤ2:20)

③  洗礼は、私たちの新しい出発   ~新しい人の誕生~ (ローマ6章4~8節)

洗礼は、単なる儀式か? 象徴的な行為であるが、単なる人間の行為ではなく、そこに神の言葉と聖霊様の力が働く行為である。キリストと共に死んだ私たちは、復活のキリストのいのちに結合され、新しい永遠の命に生かされて、新しい歩みが始まった。これは、私たちが自らの決意や努力で変わったのではなく、主によって新しく変えられたのである。 (参照: 創世記3章のエデンの園の誘惑とイエス様の荒野の誘惑の出来事の共通性。)

結 論:  洗礼は、主との第2の人生のスタートである。 (マタイ18章20節)

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ18:20)の「いつも」とは「すべての日々」という意味である。喜びの日、悲しみの日、逆境の日、病の日、どんな日にも主イエス様はあなたと共にいてくださる。時代は変わり、人の心も変わる。そして人は去って行く。しかし、イエス様は決してあなたから離れず、変わることがない。「すべての日々」に共におられる約束は何とすばらしいことか? あなたは今、歩んできた道を振り返る時、どんな告白をすることができるだろうか? あなたも主と「すべての日々を」共に歩んで行こう!
 
(例話: メジャーリーグ・テキサスレンジャーズのジョシュ・ハミルトン選手の挫折と復活の証)   

主よ感謝します。