2010/11/01

信仰義認の恵み

~宗教改革の三大原則~

2010年10月31日宗教改革記念礼拝
聖書:ローマ人への手紙 3章20〜24節
説教:滝田新二牧師                 

20.なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の 前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪 の意識が生じるのです。

21.しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によっ てあかしされて、神の義が示されました。

22.すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義で あって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もあり ません。

23.すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けるこ とができず、

24.ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆ えに、価なしに義と認められるのです。

序. 本日は「宗教改革記念日」である。 500年前、青年マルチン・ルターは、1505年雷に打たれて大転 換をする。 雷に神の怒りを見、死の恐怖におののく、21歳のドイツ青年は 神への献身を誓い、将来が約束された法律の学びを捨てて、修 道院に飛び込む。まじめに魂の救いを求める修道士が誕生した 。宗教改革の夜明けである。 ローマ書やガラテヤ書の研究を通じて、信仰義認による救いの 恵みを体験した。

1. 当時のカトリック教会の「救い」 〜行いによる救 い〜  (20節)

◎ 信仰(50%)+行い(50%)= 救い(100%)  

当時のカトリック教会では、魂の救いには、神の恵みだけ では不十分である、救われるためには、良い行い(善行)を積 まなければならないと教えていた。 ルターの課題は「いかにしたら、私は恵み深い神の愛を私のも のにすることができるのか、私の魂はどうすれば救われるのか ?」であった。 ルターの修行は難行苦行の連続であった。しかし、修行を重ね るほど、ますます、自分の罪深さを知り、恐れおののいた。「 私はこのような義の神を憎んだ。」と後に語っている。 彼はノイローゼになり、先輩の修道士が「気晴らしに聖書でも 読んでみないか?」とアドバイスした。 当時、聖書は軽んじられていた。修道院の学びは、アリストテ レスのギリシャ哲学が中心であった。まじめな青年ルターは今 度は聖書の研究に没頭し、ついに1512年、28歳の時に聖書学博 士号を受ける。 翌年からビッテンベルク大学で聖書学教授として詩篇・ローマ 書・ガラテヤ書の講義を始める。 実は、この聖書研究が、マルチン・ルターの生涯を変えること になる。つまり本当の信仰、福音の理解へ、長年求め続けた神 の救いの体験をすることになる。いわゆる『塔の体験』(回心 と救いの体験)と呼ばれるものである。

2. 「信仰義認」の再発見    〜信仰により、恵みによって救われる〜 (22 ~24節)   

◎ 信仰(100%)+ 行い(0%)=救い(100%) 

「信仰義認」の核心は「神の義」の解釈にある。 従来カトリック教会では、「神の義」を神が義である、義であ る神が、それにより罪人を裁かれる義であると解釈していた。 しかし、ルターは「神が不義である罪人を義と認めるところの 義」であると理解した。24節「ただ神の恵みにより、キリスト ・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです 。」 (参照:Ⅰペテロ2章22~24節 2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも 見いだされませんでした。 2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、お どすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負 われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるた めです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされ たのです。 主イエス様が私たち罪人のために身代わりに十字架に架かり、 死んで、3日目に甦られた。 十字架と復活を信じる信仰によって誰でも信じる者に神の義が 与えられる。永遠の命と救いが与えられる。 ルターはついに、十字架の死と復活により完成された信仰によ る救い、パウロが語った信仰義認の福音を再発見した。 ルターは「クリスチャンはあらゆる事物から自由である。すな わち義と認められ救われるために、何の行いも必要とせず、た だ信仰によってこれらの賜物を豊かに受け取るのである。」と 語っている。 そして、教会の改革に立ち上がったルターは、1517年10月31日 ビッテンベルク教会の扉に「95箇条の提題」という質問書を 張り出した。 こうして当時のヨーロッパ全土に宗教改革運動が広がり、プロ テスタント教会の誕生を見た。

3.  宗教改革の三大原則に立つ  

①「聖書のみ」:  ローマ・カトリック教会は、聖書の上に教会の権威を置いてい た。しかし、教会さえも、聖書66巻の権威に服さねばならない 。聖書こそ、信仰と生活の唯一の規範だからである。

②「恵みのみ」:  救いは、ただで、ふさわしくない者に与えられるキリストの恵 みである。

③「万人祭司」:   クリスチャンは、神の召し(Call)によって、それぞれの職(Calling )に就き、神と社会に仕える。 (Ⅰペテロ2:9 ) 「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、 神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中か ら、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらし いみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」

結論:信仰義認の恵みとキリスト者の自由を生きよう。

『キリスト者は、すべてのものの上に立つ自由な君主であって 、何人にも従属しない。 キリスト者は、すべてのものに奉仕する僕であって、何人にも 従属する。』(マルティン・ルター「キリスト者の自由」より ) 私たちも、宗教改革の「信仰義認の恵み」の原点に立返り、た だ信仰による救いを主に感謝し、キリスト者の自由の恵みの中 を歩んで行こう!      

主よ感謝 します。