〜 主の良くしてくださったことを忘れるな〜
2010年12 月26日 年末感謝礼拝
旧約聖書: 詩篇103篇1〜5節
説教:滝田新二牧師
1.わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあ るすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
2.わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださ ったことを何一つ忘れるな。
3.主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病を いやし、
4.あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみ との冠をかぶらせ、
5.あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、 わしのように、新しくなる。
序. 今年最後の礼拝、私たち神の家族・教会の恵みを数え、 主に感謝し、主をほめたたえ、新年を迎えよう!
1.わがたましいよ、主をほめたたえよ。(詩篇103:1)
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべて のものよ。聖なる御名をほめたたえよ。」 この1年の最後の礼拝を、私たちの全存在をかけて、全身全霊 で、主をほめたたえよう!
2. わがたましいよ、主の恵みを忘れるな。
〜5つの主の恵み〜 (詩篇103: 2〜5)
① 主の恵みは 「罪の赦し」 (3節)
「主は、あなたのすべての咎を赦された」 クリスマスに受肉された主イエス様は私たちの弱さ、咎、罪を 身代わりに十字架で背負われて血潮を流された。 その十字架の死と復活の御業によって、私たちの全ての罪は、 過去、現在、未来に渡り赦された。 主の赦しに心から感謝しよう!
② 主の恵みは 「いやし」
(3節後半) 「主は、あなたのすべての病をいやす」と語られている。 癒 し主である主は、私たちをいやして下さる。いやしには「時」 がある。病気も、障害もやがて主の時に、最後には天国で完全 に癒される。 だから主の十字架の愛に満たされ、聖霊様が心と魂に豊かに注 がれ、心の傷をいやされ、霊を健康にしていただいて、たとい 病の中でも、主をほめたたえよう!
③ 主の恵みは 「救い」(4節)
「主はあなたのいのちを穴から贖い」 この「穴」は、墓、滅び、死への道筋を意味する。 絶望の穴から贖い出されて人生の苦しみにも終りが来る。「贖 う」はヘブル語の原語ガーアル(名詞形ではゴーエール)で「 買い取る・身受け保証人となる・贖い主」という意味である。 イエス様の十字架によって救われ、解放され、神の目的に生き る者と変えられた。(参照:2コリント5:17) 今年は7名の兄姉が信仰告白し、洗礼の恵みに与った。 主 をほめたたえよう!
④ 主の恵みは 「良きもので必要を満たして下さる」 (4節後半〜5節)
「あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生 を良いもので満たされる」 一生という言葉は飾り言葉で、主は、過去も、現在も、未来も 、私たちの一生涯の必要を満たして下さる。 あなたの衣食住・経済、進路、仕事、結婚、老後の必要も満た して下さる。 今年、私たちの家族や教会の必要を満たして下さった主を、ほ めたたえよう!
⑤ 主の恵みは 「新しくされる」(5節後半)
「あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」 私たちの人生には限りがあり、だんだん老いる。 しかし、内なる人は、日々新しくされ、永遠の命に満ち溢れる 。 Ⅱコリント 4:16「ですから、私たちは勇気を失いません。た とい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされ ています。」
3.わがたましいよ、すべてを感謝せよ。(第1テサロニケ5:16〜18)
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事につ いて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神が あなたがたに望んでおられることです。」 主のみこころは何か? すべての事を感謝することである。 あなたは、文字通りすべての事を(失敗も、試練も、病も、弱 さも)本当に感謝しているだろうか? キリスト者とは、主にあって、すべてのことを感謝する人であ る。
結 論: 『 主の恵みを数え、感謝し、主を賛美し、前進しよう! 』 地上の教会、神の民は、時には迷い、主を疑い、不平不満を つぶやく。 そして回りを見れば、人々は不信と裏切り、失望 で相争う。 だからこそ、私たち神の民・教会は、主の恵みを忘れず、主に 感謝し、主を賛美し、新たなビジョンを受けて前進しよう。
2010/12/28
2010/12/20
クリスマスの精神を生きる
〜受肉のチャレンジ〜
2010年12月19日 クリスマス礼拝
新約聖書:ピリピ人への手紙2章2〜11節
説教:滝田新二牧師
2.私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
3.何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4.自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
5.あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
6.キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
7.ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8.自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
9.それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10.それはイエスの御名によって天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ
11.すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
序.キリスト教の最大の出来事、最大の神秘とは何か? クリスマスの受肉である。クリスマスは私たちの救いの歴史の原点である。旧約の民はこの目標点に向かうことにより不滅の希望に満たされた。新約の教会はいつもこの原点に立ち帰ることにより新たな力を得て来た。クリスマスの3つの神秘を通して、今朝、私たちも新約の教会として信仰の原点に立ち返り、クリスマスの精神を生きたい。
1.受肉の神秘 (5〜6節)
ピリピ2:6−11は、初代教会で『キリスト賛歌』と呼ばれた讃美歌である。この賛歌に先だつ5節に「あなたがたの間では、このような心構えでいなさい」と私たちが主の模範にならうように勧められている。模範として示された御子イエス様について、しばらく黙想しよう。6節に「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えなかった」と記されている。 あなたも、キリストの受肉の神秘の中に、神の恵みの最高の輝きを発見することができるだろう。
2.無になる神秘 (7節)
「彼はご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(7節) イエス様は、ローマ帝国が繁栄を極めた時代に、ローマの植民地であるユダヤの田舎のベツレヘムという小さな村の小さな宿屋の外の馬小屋でお生まれになられた。このクリスマスの物語は、美しいストーリーとして美化されているが、実際にはむしろ汚らわしく、残酷な物語である。 こうして神の御子はむなしくなり、へりくだり、王の王・主の主が人となられた。主が無になられた神秘の恵みは、私たちの眠りこけた霊の目を開き、父なる神の愛と御心をさらに深く知ることができるようになり、私たちに信仰の決断を迫っている。
3.卑しさの神秘 (8〜11節)
「キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも、従われたのです。」(8節) 主イエス様は、頑固な民の中で、仕える者となられた。そして貧しい者に食べ物を与え、悲しむ者に慰めを与え、病人を癒し、悪霊を追い出し、御業をなして仕えられた。そしてあらゆる困難、孤独、飢え、敵意を忍ばれ、人間の悲しみと重荷をすべて担われた。主イエス様の愛の御業への報いは、何であったのか? 主は、頭に茨の冠を付けられ、着物を剥ぎ取られ、つばをかけられ、鞭打たれ、十字架に架けられることがその報いであった。 このようにイエス様は、その愛を余すところなく示され、ご自分の命さえも与えられた。こうして私たちは、イエス様を信じる信仰により、罪赦され、救われた。これは愛される価値の無い者をも、無限に愛することを意味している。
結論:クリスマス・スピリットを生きよう!ー受肉のチャレンジー
クリスマスは、滅びる人間にいのちと赦しを与える平和と希望の福音である。ところが、私たちはクリスマスを年中行事のような気持ちで迎え、楽しく過ごしている。しかし、この受肉のメッセージには重大な意味が含まれている。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい」(5節)つまり“あなたもキリストの模範に従いなさい!”ということである。最初のクリスマスにおいて、あなたのために貧しくなられたキリストの心を、愛を、あなたの生活の中に、受肉せよ、再現せよという主のチャレンジである。一生を通して、あなたの人生に受肉することが求められている。それは、イエス様と同じように、あなたが与えられた賜物・能力や時間を、主に捧げる献身である。 あなたも、労苦をいとわず、家庭・職場・学校・教会で、隣人や友人・家族・教会員のために、へりくだり、自分を貧しくし、仕えるという、主の受肉のチヤレンジに応え、クリスマスの精神を生きよう! 『あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。』(1コリント6:20)
主よ、感謝します。
2010年12月19日 クリスマス礼拝
新約聖書:ピリピ人への手紙2章2〜11節
説教:滝田新二牧師
2.私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。
3.何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
4.自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
5.あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
6.キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
7.ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8.自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
9.それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。
10.それはイエスの御名によって天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ
11.すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。
序.キリスト教の最大の出来事、最大の神秘とは何か? クリスマスの受肉である。クリスマスは私たちの救いの歴史の原点である。旧約の民はこの目標点に向かうことにより不滅の希望に満たされた。新約の教会はいつもこの原点に立ち帰ることにより新たな力を得て来た。クリスマスの3つの神秘を通して、今朝、私たちも新約の教会として信仰の原点に立ち返り、クリスマスの精神を生きたい。
1.受肉の神秘 (5〜6節)
ピリピ2:6−11は、初代教会で『キリスト賛歌』と呼ばれた讃美歌である。この賛歌に先だつ5節に「あなたがたの間では、このような心構えでいなさい」と私たちが主の模範にならうように勧められている。模範として示された御子イエス様について、しばらく黙想しよう。6節に「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えなかった」と記されている。 あなたも、キリストの受肉の神秘の中に、神の恵みの最高の輝きを発見することができるだろう。
2.無になる神秘 (7節)
「彼はご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(7節) イエス様は、ローマ帝国が繁栄を極めた時代に、ローマの植民地であるユダヤの田舎のベツレヘムという小さな村の小さな宿屋の外の馬小屋でお生まれになられた。このクリスマスの物語は、美しいストーリーとして美化されているが、実際にはむしろ汚らわしく、残酷な物語である。 こうして神の御子はむなしくなり、へりくだり、王の王・主の主が人となられた。主が無になられた神秘の恵みは、私たちの眠りこけた霊の目を開き、父なる神の愛と御心をさらに深く知ることができるようになり、私たちに信仰の決断を迫っている。
3.卑しさの神秘 (8〜11節)
「キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも、従われたのです。」(8節) 主イエス様は、頑固な民の中で、仕える者となられた。そして貧しい者に食べ物を与え、悲しむ者に慰めを与え、病人を癒し、悪霊を追い出し、御業をなして仕えられた。そしてあらゆる困難、孤独、飢え、敵意を忍ばれ、人間の悲しみと重荷をすべて担われた。主イエス様の愛の御業への報いは、何であったのか? 主は、頭に茨の冠を付けられ、着物を剥ぎ取られ、つばをかけられ、鞭打たれ、十字架に架けられることがその報いであった。 このようにイエス様は、その愛を余すところなく示され、ご自分の命さえも与えられた。こうして私たちは、イエス様を信じる信仰により、罪赦され、救われた。これは愛される価値の無い者をも、無限に愛することを意味している。
結論:クリスマス・スピリットを生きよう!ー受肉のチャレンジー
クリスマスは、滅びる人間にいのちと赦しを与える平和と希望の福音である。ところが、私たちはクリスマスを年中行事のような気持ちで迎え、楽しく過ごしている。しかし、この受肉のメッセージには重大な意味が含まれている。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい」(5節)つまり“あなたもキリストの模範に従いなさい!”ということである。最初のクリスマスにおいて、あなたのために貧しくなられたキリストの心を、愛を、あなたの生活の中に、受肉せよ、再現せよという主のチャレンジである。一生を通して、あなたの人生に受肉することが求められている。それは、イエス様と同じように、あなたが与えられた賜物・能力や時間を、主に捧げる献身である。 あなたも、労苦をいとわず、家庭・職場・学校・教会で、隣人や友人・家族・教会員のために、へりくだり、自分を貧しくし、仕えるという、主の受肉のチヤレンジに応え、クリスマスの精神を生きよう! 『あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。』(1コリント6:20)
主よ、感謝します。
2010/12/13
おことばどおりこの身になりますように
2010年12月12日 アドベント第3週
聖書:ルカの福音書1章26~38節
説教:滝田新二牧師
1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
1.神に選ばれたマリヤ ~名もない少女~ (26~27節)
この「受胎告知」を、多くの画家が描いた。どの絵も、突然の出来事に驚き、恐れ、たたずむマリヤの姿が描かれている。 楽しそうな表情のマリヤはない。クリスマスの出来事は、誰もが想像できなかった。神が人となる受肉の神秘である。 救い主を生む母として選ばれ、用いられたのは、ガリラヤのナザレに住むヨセフのいいなずけ(婚約中)のマリヤであった。当時は、親が決めた結婚で14~15歳で婚約した。現代なら中学2・3年生。マリヤは、まだ少女で、人生体験を積んだ分別のある落ち着いた大人の女性ではない。主は、普通の一人の少女を、救い主の母として選ばれて、用いられた。 マリヤを選ばれた主は、あなたをも選び、神の民の一員とされ、ここに集っている。私たち一人一人の上に、神のご計画があり、神の目的がある。主は、あなたを用いて神の御業を実現しようとしておられる。
2.困惑のマリヤ ~おめでとう。主が共におられる~ (28~33節)
天使は「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます」と呼びかけた。「おめでとう」は元々の意味は「喜びなさい」で、当時挨拶の言葉として用いられていた。しかしマリヤは戸惑い、不安と恐れを感じた。 さらに天使は「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい」と世界の救い主の誕生を告げた。生まれる子は、「いと高き方の子」神の子と呼ばれ、父ダビデの王座が与えられる。 主イエス様は新しい神の民である世界中の神の教会を永遠に治め、その支配は終わることがないと宣言した。
3.マリヤの応答 ~神に不可能はない~ (34~37節)
マリアの反応は? 34節「どうして、そのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに」。まだヨセフと一緒になっていない自分が身ごもって子を生むことなど、当然あり得ない。天使はマリヤの疑問に答えて、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
聖霊様がマリヤに臨み、神の力によって身ごもる「処女降誕」であると説明した。37節「神にとって不可能なことは一つもない」と宣言された。37節の原文を直訳すると。「なぜなら、神においては、全ての言葉は不可能ではないからだ。」
原文には「すべての言葉」がある。つまり「神の言葉は全て実現する、実現できない言葉はない」と。そこでマリヤは、38節「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と主に応答した。
「神が語られたみ言葉は必ず実現する」と告げられたことを受けて、「その主のお言葉がこの身に実現しますように」と応答した。私たちの信仰の確信はどこから来るのか? 奇蹟を体験したら? いいえ、主のみ言葉を受け、御言葉を信じ、御言葉の救いの約束を受けることである。聖書の御言葉と私たちの信仰が結びついて、初めて確信となる。
マリヤが処女降誕の奇蹟を体験したように、あなたの信仰が御言葉と結びつき、主の奇蹟を経験する者とされる。
結 論:おことばどおり、この身になりますように (1章38節)
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
(1) 私たちも、主のはしためになる
「わたしは主のはしため(女奴隷)です」 マリヤは主に服従した。しかしそれは、無理やりではなく「わたしは主のはしためとして生きます」というマリヤの意思表示である。主に仕える奴隷として生きることをマリヤは自分から選び取った。 主のはしためとなるとは、「おことばどおり、この身になりますように」と祈りつつ生きる者となることである。
(2) 私たちも、本当の喜びに生きる
主は「おめでとう(喜びなさい)」と語られた。マリヤの前途は試練といばらの道。しかし、み言葉を受け入れ、主に従う道を選んだ。マリヤの姿に悲壮感はない。むしろ不思議な落ち着き、平安、主に自分の身を委ねた安心がある。マリヤのように「おことばどおりこの身になりますように」と祈り、あなたの人生に御言葉の約束が実現し、本当の喜びと幸せを得ることができるように。主が共にいて下さり、恵みを受け、御業に用いられる、生き甲斐ある人生が開かれる。
主よ感謝します。
聖書:ルカの福音書1章26~38節
説教:滝田新二牧師
1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
1.神に選ばれたマリヤ ~名もない少女~ (26~27節)
この「受胎告知」を、多くの画家が描いた。どの絵も、突然の出来事に驚き、恐れ、たたずむマリヤの姿が描かれている。 楽しそうな表情のマリヤはない。クリスマスの出来事は、誰もが想像できなかった。神が人となる受肉の神秘である。 救い主を生む母として選ばれ、用いられたのは、ガリラヤのナザレに住むヨセフのいいなずけ(婚約中)のマリヤであった。当時は、親が決めた結婚で14~15歳で婚約した。現代なら中学2・3年生。マリヤは、まだ少女で、人生体験を積んだ分別のある落ち着いた大人の女性ではない。主は、普通の一人の少女を、救い主の母として選ばれて、用いられた。 マリヤを選ばれた主は、あなたをも選び、神の民の一員とされ、ここに集っている。私たち一人一人の上に、神のご計画があり、神の目的がある。主は、あなたを用いて神の御業を実現しようとしておられる。
2.困惑のマリヤ ~おめでとう。主が共におられる~ (28~33節)
天使は「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます」と呼びかけた。「おめでとう」は元々の意味は「喜びなさい」で、当時挨拶の言葉として用いられていた。しかしマリヤは戸惑い、不安と恐れを感じた。 さらに天使は「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい」と世界の救い主の誕生を告げた。生まれる子は、「いと高き方の子」神の子と呼ばれ、父ダビデの王座が与えられる。 主イエス様は新しい神の民である世界中の神の教会を永遠に治め、その支配は終わることがないと宣言した。
3.マリヤの応答 ~神に不可能はない~ (34~37節)
マリアの反応は? 34節「どうして、そのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに」。まだヨセフと一緒になっていない自分が身ごもって子を生むことなど、当然あり得ない。天使はマリヤの疑問に答えて、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
聖霊様がマリヤに臨み、神の力によって身ごもる「処女降誕」であると説明した。37節「神にとって不可能なことは一つもない」と宣言された。37節の原文を直訳すると。「なぜなら、神においては、全ての言葉は不可能ではないからだ。」
原文には「すべての言葉」がある。つまり「神の言葉は全て実現する、実現できない言葉はない」と。そこでマリヤは、38節「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と主に応答した。
「神が語られたみ言葉は必ず実現する」と告げられたことを受けて、「その主のお言葉がこの身に実現しますように」と応答した。私たちの信仰の確信はどこから来るのか? 奇蹟を体験したら? いいえ、主のみ言葉を受け、御言葉を信じ、御言葉の救いの約束を受けることである。聖書の御言葉と私たちの信仰が結びついて、初めて確信となる。
マリヤが処女降誕の奇蹟を体験したように、あなたの信仰が御言葉と結びつき、主の奇蹟を経験する者とされる。
結 論:おことばどおり、この身になりますように (1章38節)
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
(1) 私たちも、主のはしためになる
「わたしは主のはしため(女奴隷)です」 マリヤは主に服従した。しかしそれは、無理やりではなく「わたしは主のはしためとして生きます」というマリヤの意思表示である。主に仕える奴隷として生きることをマリヤは自分から選び取った。 主のはしためとなるとは、「おことばどおり、この身になりますように」と祈りつつ生きる者となることである。
(2) 私たちも、本当の喜びに生きる
主は「おめでとう(喜びなさい)」と語られた。マリヤの前途は試練といばらの道。しかし、み言葉を受け入れ、主に従う道を選んだ。マリヤの姿に悲壮感はない。むしろ不思議な落ち着き、平安、主に自分の身を委ねた安心がある。マリヤのように「おことばどおりこの身になりますように」と祈り、あなたの人生に御言葉の約束が実現し、本当の喜びと幸せを得ることができるように。主が共にいて下さり、恵みを受け、御業に用いられる、生き甲斐ある人生が開かれる。
主よ感謝します。
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