2011/01/17

ダビデとヨナタンの友情

2011年1月16日
旧約聖書:第1サムエル記18章1~16節
説教:滝田新二牧師

1.ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。

2.サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。

3.ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。

4.ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。

5.ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。

6.ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。

7.女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」

8.サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」

9.その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。

10.その翌日、わざわいをもたらす、神の霊がサウルに激しく下り、彼は家の中で狂いわめいた。ダビデは、いつものように、琴を手にしてひいたが、サウルの手には槍があった。

11.サウルはその槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろう、と思ったからである。しかしダビデは二度も身をかわした。

12.サウルはダビデを恐れた。主はダビデとともにおられ、サウルのところから去られたからである。

13.それでサウルはダビデを自分のもとから離し、彼を千人隊の長にした。ダビデは民の先に立って行動していた。

14.ダビデはその行く所、どこででも勝利を収めた。主が彼とともにおられた。

15.ダビデが大勝利を収めるのを見て、サウルは彼を恐れた。

16.イスラエルとユダの人々はみな、ダビデを愛した。彼が彼らの先に立って行動していたからである。

序.今日のテーマは友情です。あなたには親友と呼べる友がいるでしょうか?
ダビデとヨナタンの友情からみことばを受けよう。 ヨナタンは、サウル王の子で王子、次期王様候補である。一方、ダビデは子どもの頃、ベツレヘムの田舎の羊飼いであったが、敵のペリシテの戦士巨人のゴリヤテを倒して、一躍、英雄となりイスラエルの戦士となる。ダビデはイスラエルの王としての油注ぎを受けたが、実際に王になるまでには多くの時間がかかり、たくさんの辛い経験をした。サウル王から命を狙われて、逃亡の生活を余儀なくされる。希望を失うような状況の中で、ダビデを支えたのは親友ヨナタンであった。私たちが危機的な状況に陥った時、主はこのような友を送ってくださる。

1.信仰によって結ばれた友情 (1節)

18:1 ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した。

ダビデが巨人ゴリヤテと戦って勝利した時、ヨナタンとダビデの間には新しい友情が生まれた。
“ヨナタンの心は、ダビデの心に結びついた”この言葉は“ヨナタンの魂とダビデの魂は共に編み込まれた”という意味で、固く結ばれた信頼関係だった。  
“ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した”これはまさに、イエス様が教えてくださった愛と信頼の関係である。
彼らの友情は、主なる神への信仰によって結ばれた人間関係・友情であった。

2.利害を超えた友情 ~神中心の信頼関係~ (2~12節)

18:3ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。

18:4ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。

ヨナタンは王位継承者の象徴である鎧、兜、剣、帯のすべてをダビデにプレゼントした。彼は、次の王様になるのは自分ではなく、ダビデこそが主の目に適い、主のみこころである事を知っていた。これは、彼らが、神中心の生き方をしていた結果である。     

18:6 ダビデがあのペリシテ人を打って帰って来たとき、みなが戻ったが、女たちはイスラエルのすべての町々から出て来て、タンバリン、喜びの歌、三弦の琴をもって、歌い、喜び踊りながら、サウル王を迎えた。
18:7 女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」

18:8 サウルは、このことばを聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。「ダビデには万を当て、私には千を当てた。彼にないのは王位だけだ。」

18:9 その日以来、サウルはダビデを疑いの目で見るようになった。

巨人ゴリヤテを倒して、ダビデが群衆の称賛を受けた時、サウル王は嫉妬し、ダビデを王位を狙う者として恐れた。
父サウルは自分の王位を守るという自分の利益のみを優先したのに対して、ヨナタンは神のみこころを最優先した。
ヨナタンにとっての喜びは、自分がゆるぎない地位を得る事ではなく、主のみこころが成る事であった。
だから、ヨナタンはダビデに嫉妬する必要がなかった。主のみこころがいつでも、自分にとっての最善であり、国にとっての最善であり、祝福である事を知っていた。 だからヨナタンは、迷うことなくその王座を明け渡した。
この友情は、二人が共に主を第一とする時に築き上げられるものである。

3.犠牲の愛による友情 (19章1~7節) ~もうひとりの友~

19:1 サウルは、ダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げた。しかし、サウルの子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。

19:2 それでヨナタンはダビデに告げて言った。「私の父サウルは、あなたを殺そうとしています。それで、あしたの朝は、注意して、隠れ場にとどまり、身を隠していてください。

ヨナタンは、怒るサウル王との間に立って命がけでダビデを守った。あなたは、ダビデのような、またヨナタンのような友はいないと感じているならば、祈り求めよう。信仰によって、その友との関係は、揺らぐ事のない真の友情へと育っていくのだから。 

しかし、幸いなことに、私たちには、もうひとりの友がいる。その友の名は、イエス様である。

ヨハネの福音書15章13~15節

15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。

15:15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。

“私はあなたを友と呼んだ。” 世界が始まる前から存在する神のひとり子イエス様は、あなたを友と呼んで下さっている。
主は、罪人のあなたのために命を捨てて十字架に架かり、永遠の死から救って下さった。
友なるイエス様は、苦しい時も、辛い時も、いつでも共に歩んで下さる。死の影の谷を歩く時も、イエス様という親友が共にいるから、恐れる必要がない。孤立し、世界から忘れ去られたように感じる時も、周りには敵しかいないように思える時でも、主は決して見捨てることなくあなたの側にいて下さる。このお方を心の扉を開いてお迎えしよう。


結論: 『 神との友情 ・ 信仰の友の3つの祝福  』

(1) 物事に対する正しい判断を誤らせない。 

父サウルがヨナタンと家来にダビデを殺す事を告げた時、父をいさめた。(19:1-7) 
友なるイエス様も、物事に対して誤ることのないように、正しい判断に導いてくれる。

(2) 道を誤らせない。 

ヨナタンはダビデに「イスラエルの王となるのはあなただ。私はあなたの次に立つ者となるだろう」
と告げた。(23:17)
ヨナタンは自分の歩むべき道を、自分の使命をはっきりと認識していた。それをダビデと共有していた。
友なるイエス様は、私たちを誤ることのないように、正しい道に導かれる。

(3) 友の困難を未然に防いでくれる。 

ヨナタンは父がダビデを殺す意志の変わらないことを知り、ダビデを逃した。(20:31-42)
友の存在、そして神との友情は、わたしたちひとりひとりの歩みを守り、励まして、正しい道へと導くのである。

主よ感謝します。