2011/02/14

善をもって悪に打ち勝つ

2011年2月13日
聖書:第1サムエル記 24章1~22節
説教:滝田新二牧師

1. サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。

2. そこでサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭をえり抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。

3. 彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用をたすためにその中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥のほうにすわっていた。

4. ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。

5.こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。

6.彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」

7.ダビデはこう言って部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、ほら穴から出て道を歩いて行った。

8 その後、ダビデもほら穴から出て行き、サウルのうしろから呼びかけ、「王よ」と言った。サウルがうしろを振り向くと、ダビデは地にひれ伏して、礼をした。

9.そしてダビデはサウルに言った。「あなたはなぜ、『ダビデがあなたに害を加えようとしている』と言う人のうわさを信じられるのですか。

10.実はきょう、いましがた、主があのほら穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたはご覧になったのです。ある者はあなたを殺そうと言ったのですが、私は、あなたを思って、『私の主君に手を下すまい。あの方は主に油そそがれた方だから』と申しました。

11. わが父よ。どうか、私の手にあるあなたの上着のすそをよくご覧ください。私はあなたの上着のすそを切り取りましたが、あなたを殺しはしませんでした。それによって私に悪いこともそむきの罪もないことを、確かに認めてください。私はあなたに罪を犯さなかったのに、あなたは私のいのちを取ろうとつけねらっておられます。

12.どうか、主が、私とあなたの間をさばき、主が私の仇を、あなたに報いられますように。私はあなたを手にかけることはしません。

13.昔のことわざに、『悪は悪者から出る』と言っているので、私はあなたを手にかけることはしません。

14.イスラエルの王はだれを追って出て来られたのですか。あなたはだれを追いかけておられるのですか。それは死んだ犬のあとを追い、一匹の蚤を追っておられるのにすぎません。

15.どうか主が、さばき人となり、私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて、これを弁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように。」

16.ダビデがこのようにサウルに語り終えたとき、サウルは、「これはあなたの声なのか。わが子ダビデよ」と言った。サウルは声をあげて泣いた。

17.そしてダビデに言った。「あなたは私より正しい。あなたは私に良くしてくれたのに、私はあなたに悪いしうちをした。

18.あなたが私に良いことをしていたことを、きょう、あなたは知らせてくれた。主が私をあなたの手に渡されたのに、私を殺さなかったからだ。

19.人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろうか。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなたに幸いを与えられるように。

20.あなたが必ず王になり、あなたの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。

21.さあ、主にかけて私に誓ってくれ。私のあとの私の子孫を断たず、私の名を私の父の家から根絶やしにしないことを。」

22.ダビデはこれをサウルに誓った。サウルは自分の家へ帰り、ダビデとその部下は要害へ上って行った。

序.この24章は、第1サムエル記の中で、最も劇的な場面である。第1サムエル記は、イスラエルが王国となり、最初に立てられた王サウルが主のみ心に適わずに堕落していき、代ってダビデが王となって発展し、繁栄していったことを描いている。 王権がサウルからダビデに移った事情を語っている。サウルからダビデへの王権の継承は円滑に行った訳ではない。サウルは、自分の王権に固執し、ダビデを、自分の地位を脅かす者として憎み、その命をつけ狙った。両者の対立、葛藤の中で起った最も劇的で感動的なな場面である。

1.サウルと遭遇したダビデ (24:1~2)

 ダビデは、サウル王に妬まれ命を狙われて、10年に渡りユダの荒野を彷徨う。サウルは3千の精鋭を率いて、死海のほとりエン・ゲディの荒野に追撃して来た。隠れていたダビデは、トイレのために入った洞窟でサウルと偶然に遭遇する。

2.サウルを殺さなかったダビデ (24:3~22)

サウルはその洞窟にダビデと供の者たちがいることを知らない。
サウルがそこに入ってきたのは、3節にあるように、「用を足すため」であった。それは、「トイレのため」ということである。何も知らずに用をしているサウル。ダビデの部下たちは、「今こそ、サウルを殺す、主が与えた千載一遇のチャンス」と進言するが、ダビデは「主に油そそがれた方、私の主君に対して、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。」と言って手をかけようとはしなかった。 ダビデは、サウルの後ろから呼びかけて、「私はあなたの上着のすそを切り取りましたが、あなたを殺しはしませんでした。それによって私に悪いこともそむきの罪もないことを、確かに認めてください。私はあなたに罪を犯さなかったのに、なぜ、あなたは私のいのちを取ろうとつけねらうのですか」と語る。サウルはこれを聞くと声をあげて泣いた。これは感動的な場面である。 サウル王は、自分はダビデに悪意をもっていたがダビデは自分に善意を尽くしたことを悟った。そしてダビデが自分に代って王となることを、サウルは認め受け入れた。 本来ならば、これでハッピーエンドになるところだが、実際は違う。 同じことが、26章でも繰り返されたのである。

結論:「善をもって悪に打ち勝ちなさい」 (ローマ12章17~21節)

17.だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

18.あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ち。

19.愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

20.もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

21.悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。ダビデは、悪をもって悪に返すことをせず、自分で復讐をするのではなくて、主に任せた。                 

ダビデは悪に負けることなく、善をもってサウルに対した。ダビデこそ王に相応しいという資質を示した。しかし、悪に対して善を行なえば、必ず報われるという約束はない。実際に、サウルは後悔しても、悔い改めず、和解してダビデに王位を譲ることもしなかった。それでも、ダビデはサウルに対して、最後まで「善をもって悪に勝つ」ことができたのは、なぜか? サウルが主君であり王であるのは、主が油を注がれたからである。ダビデ自身も、同じ油注ぎを受け、王となる者として選ばれ、立てられた。しかし、今はまだサウルが王位にある。それは、主がサウルに油を注がれた、その御心がまだ生きている。ダビデは、その神の御心を尊重し、御心に従うから、サウルを殺さなかった。もし、サウルを殺して自分が王になれば、自分の力で王位を奪ったことになる。主が、しかるべき時に、しかるべき方法でお立てになる、その神の時を待つことが大事なのである。 だから、ダビデがサウルの悪に対して善をもって勝利したのは、彼の善意や優しい心からではない。主のみ心を尊重し、主に自分のことを委ねる信仰によったのである。善をもって悪に対し続ける事には、苦しみが伴う。しかし、主イエス様が、あなたのために、苦しみと死とを引き受けて下さったゆえに、主のみ心に身を委ねて生きる時に、私たちもダビデと共に、善をもって悪に勝つために苦しみを引き受ける者となる。こうして、最終的には、私たちに、本当の勝利ある人生が与えられるのである。

主よ、感謝します。