2011/02/28

イエス様に認められた人々

2011年2月27日
聖書:マルコの福音書 2章1~17節
メッセンジャー:JOIN 上野 有 氏

1.数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家にお られることが知れ渡った。

2.それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまも ないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話して おられた。

3.そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みも とに連れて来られた。

4.群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その 人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、 中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。

5.イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの 罪は赦されました」と言われた。

6.ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で 理屈を言った。

7.「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしてい るのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。 」

8.彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスは すぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなた がたは心の中でそんな理屈を言っているのか。

9.中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起き て、寝床をたたんで歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

10.人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなた がたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、

11.「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰り なさい」と言われた。

12.すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見 ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「 こういうことは、かつて見たことがない」と言って神をあがめ た。

13.イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみ な、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。

14.イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所に すわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい」 と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

15.それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や 罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着い ていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたの である。

16.パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たち といっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たち にこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょ に食事をするのですか。」

17.イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必 要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人 を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

序.イエス様の公生涯初期の出来事から2つの場面を取り上げ ます。どちらの場面にも、イエス様に認められた人、その人に 対して応答するイエス様、そのイエス様の応答につぶやく律法 学者の3者が登場します。その中からイエス様に認められた人 はどのような人々であったかということに焦点をあてて、御言 葉を聞きたいと思います。

1.男たちの、深く熱い友情 (1-12節)

中風を患った友達を運んで来る4人の男の話です。

①4人の男たちが、病気の友達を運んで来たのには、どのよう な苦労があったのでしょうか? 

②屋根を破って吊りおろすという、奇想天外な行動に出た理由 は何だったのでしょうか?

③イエスさまは、彼らの何を見て「信仰」と認めて下さったの でしょうか?

[結論と適応]

イエス様は、4人の男たちの深く熱い友情を見て、彼らの行い を「信仰」と認め、病気の男に罪の赦しを宣言しました。私た ちの信仰は、愛のある行いを伴ったものでしょうか。当時の律 法主義の世界のように、信仰が形ばかりの本質を見失ったもの となっていないでしょうか。

2.呼ばれた男の応答 (13-17節)

福音書の著者でもあるマタイ(レビ)が、イエスさまの弟子と して招かれる場面です。

①イエスさまに目を留められたマタイはどんな人物であったの でしょうか?

②「何もかも捨ててイエスさまに従おう!」と、彼を動かした ものは何だったのでしょうか?

③マタイが自宅を開放して行ったパーティーには、どのような 意味があったのでしょうか?

[結論と適応]

イエスさまは、罪人の代表だと考えられていた取税人マタイを 認め、選びました。「罪人である私を選んで下さった!」その 事実に喜び、感動したマタイは、すぐさま自分にできる伝道を 行いました。

イエス様が、罪人である私に下さった愛の深さ、恵みの大きさ を知る時、私たちは感動せずにはいられません。 その喜びと感動を忘れなければ、私たちの人生は、イエスさま の喜ばれる働きを求める人生と変えられていきます。