2011/05/08

母の涙の祈り

2011年5月8日
旧約聖書: 第1サムエル記1章1~20節
説教:滝田新二牧師

1.エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。この人はエロハムの子、順次さかのぼって、エリフの子、トフの子、エフライム人ツフの子であった。

2.エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。

3.この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピネハスがいた。

4.その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。

5.しかしハンナには特別の受け分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。

6.彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

7.毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。

8.それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

9.シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばの席にすわっていた。

10.ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。

11.そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

12.ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。

13.ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのではないかと思った。

14.エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

15.ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。

16.このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」

17.エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」

18.彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

19.翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。

20.日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

序.本日は「母の日の礼拝」である。サムエル記の背景は、イスラエルが聖書の祝福の原則に従わずに自分勝手に生きていた時代である。主は、神の人サムエルを起こされた。 イスラエルは、預言者サムエルによって国が再建され、ダビデ王によってイスラエル王国は確立される。 サムエルを与えるために、主は、一人の女性ハンナを選ばれた。

1.ハンナの苦しみ (1~7節)

 ハンナの苦しみは、「子どもが与えられない」ことであった。5節「主はハンナの胎を閉ざしておられた」ここに神の意志が働いていたことを示している。当時は、子どもは神の祝福と考えられ、子どもが生まれないことは神の呪いと見なされていた。また、聖書の結婚の原則である一夫一婦制に反して、一夫多妻が受け入れられていた。ハンナの夫エルカナにはもう一人の妻ペニンナがいた。彼女からハンナは嘲られ苦しめられていた。現代も多くの人は、苦しみから逃れるためにアルコールに走り、ドラッグに手を出す。しかし、それらは一時的に苦しみから目をそらさせるが、酔いが覚めたら、もっと大きな不安や恐怖、罪悪感に襲われる。こうして依存症に落ち込んでしまう。心の空しさを満たすために、お腹が空いていないのに食べ続ける「過食症」、必要のないものをどんどん買い続ける「買い物依存症」や「セックス依存症」。また「共依存という人間関係の依存症」もある。これは他の人に隷属したり、反対に他の人をコントロールすることでしか、家族や周りの人との関係を持つことができないというやっかいなもので、その結果、自分を傷つけ、周りの家族を傷つけてしまう。結局、私たち人間は依存しないと生きていけない弱い存在である。だから、依存してはいけない物に依存することをやめて、依存すべきお方(主)に依存して、始めて苦しみから解放される。

2.ハンナの祈り  ~命を注ぎ出す祈り~ (8~16節)

ハンナの夫エルカナは、毎年神の宮に上り礼拝を献げていた。ハンナは神の宮に上る機会を、単なる宗教行事ではなく、主ご自身の前に出る機会にした。10節「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。」       

心理学では、夫婦の関係さえ良ければどんなことでも解決するかのように語る。しかし理想的な夫も彼女の苦しみを慰めることができなかった。私たちは、苦しむとき人の励ましや慰めを求める。しかし解決できないことがある。本当の癒しと解決は主の所にしかないからである。ハンナは自分の苦しみを主に携えて行った。ハンナはまっすぐに主に向かい祈った。もし、ハンナが主に背を向け、ペニンナの悪意に対して、嫉妬して、悪をもって復讐していたら? サムエルが与えられることはなかった。そして家庭は地獄と化したに違いない。ペニンナに嫉妬していたが、ハンナは主のもとに行き、命を注いで祈った。祈りを聞き給う主がおられる。主は、あなたの命、魂、全存在を、まるごと受けとめてくださる。

3.ハンナの勝利  (17~20節)

 ハンナは祈りの格闘の末に主の答えを受ける。「安心して帰りなさい」(17節)祭司の言葉を受け家族のもとに帰った。「彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」(18節)。命を注ぎ出して祈り、主に委ね、苦難をも突き抜けて勝利した。

◎結 論:  『 母の涙の祈りは、祝福をもたらす 』

ハンナは、サムエルが生まれた時、自分の所有物のように育てるのではなく、真に信仰をもってその子を養い、やがて主に誓ったように、わが子を主に献げることができた。こうして偉大な預言者が世界に送り出された。母の日の礼拝で、このサムエルの母の涙の祈りの姿をしっかりと心に刻み付けたい。私たちも、神の深いご計画によって大きな苦しみと試練を与えられる。その苦しみの中で、決して主に背を向けず、自らの魂を注ぎ出して、涙の祈りをささげ、主の勝利と祝福を受けよう。 

(例話: 母モニカの涙の祈りが偉大なアウグスチヌスを2度生んだ。)          

主よ感謝します。