~原点に立ち返る~
2011年5月22日
聖書:ヨハネの福音書21章1~14節
説教:滝田新二牧師
1.この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自分を弟子たちに現された。その現された次第はこうであった。
2.シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。
3.シモン・ペテロが彼らに言った。「私は漁に行く。」彼らは言った。「私たちもいっしょに行きましょう。」彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。
4.夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。
5.イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」
6.イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。
7.そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。
8.しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである。
9.こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。
10.イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。」
11.シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。
12.イエスは彼らに言われた。「さあ来て、朝の食事をしなさい。」弟子たちは主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねる者はいなかった。
13.イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
14・イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現されたのは、すでにこれで三度目である。
序.ヨハネの福音書の21章は付録である。
しかし、単なるおまけではなく、大きな恵みの付録となっている。
復活のイエス様に出会った弟子たちが、なぜ、再びガリラヤ湖に戻り、昔の漁師をしているのか?弟子たちの姿は、私たちの姿でもある。
主に出会い、従うようになった。しかし、みことばを受けても、一歩教会の外に出ると、元の日常生活に埋没してしまう。
失望する者に、主はどのように関わり、人生の再出発を備えて下さるのだろうか。
1. 原点に返った弟子たち ~私は漁に行く~(1~3節)
ペテロたちは故郷ガリラヤ湖へと舞い戻っていた。
実は、弟子たちは一直線に伝道に励み、邁進したのではない。
人生には浮き沈みがある。同様に信仰生活にも浮き沈みがある。
スランプに落ち込んだ時は、どうすればよいだろうか?
原点に立ち返る。スポーツ選手もスランプになると原点に返るように、
スタートの原点に立ち返る。弟子たちは、原点であるガリラヤ湖の漁師の仕事に赴く。しかし、夜通し働いても一匹の魚も獲れずに、失望落胆していた。
2. 落胆した者の傍らに立たれる主 ~イエスは岸辺に立たれた~ (4~5節)
主イエス様が、お姿を現わされたのは、ペテロと仲間たちが落胆の極限にあった時である。主は、失望落胆する者の傍らに立たれる。
大震災の日本は、敗戦の時と同じくらい落ち込んでいる。しかし、覚えよう。主は失望する者の傍らに立たれるお方であることを。
主は5節「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」と呼びかけた。
英語のNIVは”Friends, haven’t you got any fish?”(友よ。魚は獲れましたか?)と質問となっている。
これは、弟子たちの心を探る質問であった。
弟子たちの弱さ、失敗、挫折、実を結ばない人生を見透かしておられる主の質問である。イエス様を離れては何も出来ない、弟子たちの弱さ、失敗、落胆を、主は知っておられる。キリストなき家事や育児、仕事や勉強、キリストなき人生設計や家庭形成の空しさ、喜びなき人生を主は知らされた。
3. 人生の再チャレンジの招き ~網を降ろしなさい~ (6~8節)
イエス様は「舟の右側に網をおろしなさい。」と命令された。
ある意味、不可能への挑戦である。彼らは、疲れ、失望落胆していた。
しかし、主は不可能と思える事にも挑戦しなさいと語っておられる。
私たちの生涯において不可能と思われる事が多くある。
性格を変えたいが、どうしても出来ない、仕事を変えても、何をやっても駄目だ。
しかし、主は「もう一度網を投げてごらん」と語っておられる。
これは、やり直しの可能性、人生の再挑戦のチャンスである。
「右側」とは「神の側」を聖書では意味する。
今までの自分の考えや経験、努力から、新しく神の側に網を打ってみよ!
その結果は、何と153匹の大漁であった。
この数字は、当時知られていた魚の種類とも言われる。
教会は全世界のすべての民族を迎える。
教会はどのような人々が来ても網が破れることがない。1つであることの象徴でもある。私たちも、主のみことばに従う時、大いなる御業を拝するのである。
この体験は、最初の主との出会いの原点と同じである(参照:ルカ5章1~6節)
「イエス様を信じて、再スタートする時、人生はやり直せる。」
パウロは「私を強くして下さるお方(キリスト)によってどんなことでもできる。」
(ピリピ4:13)と語っている。
結論: 主のチャレンジに応えよう!
~主の豊かな祝福は備えられている~ (9~14節)
「さあ来て、朝の食事をしない。」(12節)
疲れた弟子たちに、主は温かい朝食を備えておられた。
黙って弟子たちに給仕し、仕える姿は、叱責以上の効果がある。
弟子たちには、生涯忘れ得ぬ恵みと祝福の交わりとなった。
復活の主は、あなたにも「網をおろしない」と新しいチャレンジを与えておられる。
どんなに難しい課題でも、イエス様を信じて、信仰によるチャレンジをしよう!
主の豊かな祝福はすでに備えられているのだから。
主よ感謝します。