2011年9月11日
聖書:第1列王記19章1~18節
説教:滝田新二牧師
1.アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。
2.すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3.彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
4.自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
5.彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。
6.彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。
7.それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。
8.そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。
9.彼はそこにあるほら穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は「エリヤよ。ここで何をしているのか」と仰せられた。
10.エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」
11.主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
12.地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
13.エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」
14.エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」
15.主は彼に仰せられた。「さあ、ダマスコの荒野へ帰って行け。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。
16.また、ニムシの子エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。
17.ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの剣をのがれる者をエリシャが殺す。
18.しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」
序.今月は夏の疲れを覚えて、主の癒しと回復について御言葉から学んでいる。
エリヤはモーセと並んで旧約聖書を代表する偉大な預言者である。エリヤは、ひどい落ち込みを経験した。うつになった。エリヤはどのようにして、元気を取り戻し、もう一度、主の使命に生きることができたのか? 弱く落ち込みやすい私たちも、主からの励ましを頂こう。
1. エリヤの落ち込み(19章1~4節)
(1)脅し(1~2節)
なぜ、エリヤは落ち込んだのか? アハブ王の妻イゼベルの脅しによる。2節「神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」とは、当時の言い方で絶対殺してやるぞ」という意味。使者を遣わして死刑宣言の脅しである。
(2)疲れと恐れ(3~4節)
エリヤは18章で、一人で450人のバアルの預言者と対決して大勝利した。この戦いを通して、精も魂も尽き果てた。私たちの疲れとは、医学的な言葉ではなく、実は霊的な事である。霊が飢え渇くと、平安も喜びもなく、不安と孤独に悩む。誰も、自分を分かってくれない。自己憐憫と猜疑心で心が一杯になり、恐れに支配されてしまう。
(3)努力の報われない現状
エリヤは、リバイバルが起る事を願っていた。結果は、何も起こらず、反対に命が狙われ、努力も報われず、状況は悪化した。私たちも、「もうダメだ。何もやる気がしない。」そんな思いにならないか?一生懸命にやっても、受験に失敗したり、病気になったり、仕事もうまくいかなかったり、家庭の中でトラブルがある。こうして私たちは落ち込む。
2. 主の励まし(19章5~8節)
(1)主のもとに逃げる
エリヤは、ユダのベエル・シェバの荒野へと逃れた。荒野は神と出会う所である。エリヤは一人で神に祈るために荒野に逃れた。四十日四十夜、歩いてモーセが十戒を受けた神の山ホレブに行った。エリヤは主に会いたい。主に自分の恐れや不満を打ち明けたいと願った。あなたは落ち込んだ時に、恐れを感じ、どこに逃げているだろうか?
(2)肉体も大切
主は、エリヤに十分な休息を与え、次に焼いたパン菓子一つと水を与えた。食べる事、飲む事、睡眠をとる事、これが最も大切な事。主はこうしてエリヤに回復を与えられた。
詩篇37:3 「主に信頼して善を行なえ。地に住み、誠実を養え。」
学校で誠実に勉強する事、会社で誠実に仕事する事、主婦が家庭に仕える事、これらは霊的な大切な事柄なのである。
(3)主のみことば (7~13節)
私たちには神のご計画の全ては理解できない。だからデボーションを通して、私たちに対する神のご計画の一部を教えて下さる。あなたには生きる意味と価値がある。あなたの人生には神の目的がある。
3.主の計画と備えがある (19章15~18節)
(1)新しい使命
新しい王と預言者に油を注いて任命するという、新しい使命を受けて、新しい歩みを始める。
(2)兄弟姉妹との交わり (参照:第1コリント10章13節)
主は、エリヤのために7,000人の仲間を備えておられた。私たちは孤独な戦いをするのではなく、教会の小グループの祈りと交わりの励ましが主から備えられている。
結論:『 聖餐の恵みに生きよう! 』 ~起きて、食べなさい~
主は、エリヤに「起きて食べなさい。」と二度も告げられた。
主ご自身が用意されたパンと水を食べて、元気を回復して、エリヤは神の山ホレブに向かって歩き出した。この食事は、出エジプトの時のマナを想起させる。主の養いの中で生かされている事と、主が私たちと共におられることを示す食事である。聖書において食事とは、私たちの命の根本、神との交わりの中にある命を指し示す。神との交わりの食事は、旧約の過越の食事から、イエス樣が五千人の群衆に与えられたパンの奇跡、また最後の晩餐の食事を想起させる。さらに、エマオの途上の弟子たちとの食事へとつながっていく。この聖餐の恵みを通して、疲れ倒れた私たちをも、主は立ち直らせ、主と共に生きる者として、新しい使命と歩みへと導かれるのである。
主よ、感謝します。