2011年9月18日 敬老の日の礼拝
旧約聖書:創世記25章7~11節
説教:滝田新二牧師
7.以上は、アブラハムの一生の年で、百七十五年であった。
8.アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。
9.彼の子らイサクとイシュマエルは、彼をマクペラのほら穴に葬った。このほら穴は、マムレに面するヘテ人ツォハルの子エフロンの畑地の中にあった。
10.この畑地はアブラハムがヘテ人たちから買ったものでそこにアブラハムと妻サラとが葬られたのである。
11.アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた。
序.今日は「敬老の日の礼拝」である。ご高齢の皆さまの祝福をお祈りいたします。
アブラハムの一生は175年で、多くの試練と戦いがあったが、平安な老年を迎えた。なぜ、平安な老年を迎えることができたのか?主の約束である。(創15:15「あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。」)
人は、誰も自分の力で平安な老年を迎えるのではなく、主の恵みによるのである。私たちも祝福された老年を迎えるために、祝福のみことばを受けよう!
1.平安な老年を迎えるために(創世記25:7~8)
① 過去の罪に対する解決
アブラハムは、その生涯で罪を犯したけれども「信仰によって義と認められた」(創15:6)
過去の罪に対する清算ができていた。人は長く生きれば生きるほど罪を積み重ねやすい。しかし、罪を主の前に悔い改め、告白し、主の十字架の贖いを信じるなら、その全ての罪は赦される。
(参照:1ヨハネ1:9「 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」)
② 最後まで主に従順し、使命に生きる(創12:1~4)
アブラハムは、主の召しと使命に生きた。(創12:1~4)
また神の恵みに支えられ主に従い通した。それゆえに、約束の子イサクとその妻リベカが与えられ、160歳の時に、孫のエサウとヤコブが与えられた。(創25:26)
老年を迎え、全財産をイサクに譲った後も、生涯を振り返り、主の恵みを感謝し、自分の子孫のためにとりなしの祈りをささげた。
祝された老年を迎えるとは「何をするか」(doing)ではなく、「主の御前にいかに生きるか・存在するか」(being)を心を留め、若い時ほど活躍できなくとも卑下することなく、ありのままの自分を受け入れて平安な日々を送ることである。
③ 死後の世界に対する確信
アブラハムは、この地上に故郷を求めずに、「天の故郷にあこがれていた」(ヘブル11:16)それは、主の救いにあずかって永遠のいのちを確信していたからである。彼は長寿(175歳)を全うして死んだ。長寿を全うするとは「満ち足りて、人生を堪能して死ぬ」ことである。そして「自分の民に加えられた」のである。『彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。』(詩篇92:13-14)主の家に植えられた者、つまり主の恵みに満ちた教会につながり続けている者の晩年は、決して寂しいものではない。最後まで実を豊かに結ぶ人生を送ることができる。
例話:宗教改革者のジャン・カルバンは、「自分の民に加えられた」ということについて、「この言葉は、魂の永続性を意味している。つまり、死んでしまったならば、魂の存在が途切れてしまうのではなく、自分がいなくなってしまうのではなく、地上で生きている時も、地上の生活を締め括った後も、生きるための喜びに満ちた共同体としてクリスチャンの信仰者としての交わりの世界があり、天国という交わりの世界に加えられたというです。」地上と天国の連続性について語っている。私たちには輝かしい天国が備えられている。
2.信仰の遺産を残す(創世記25:9~11)
アブラハムはマクペラの洞窟に葬られた。しかし、アブラハムの神は死なず、その契約は生き続ける。以前にも増して子孫に神の祝福が注がれた。多くの人は自分の子孫に何かを残したいと願っている。それがその人の生きた証しだからである。あなたは子孫に、何を残したいだろうか?ある人は財産を残す。しかし、それはやがて無くなる。また他の人は、子どもを教育し、学歴を遺産とする。これらは良き事であるが、クリスチャンが本当に残すべきもの何だろうか?私たちが子孫に残すべきものは、主に対する信仰と、私たちが主に従った生涯の証しではないだろうか。それは決して変ることなく、絶えることなく、私たちの子孫に祝福を与え続けるのである。
例話:内村鑑三は『後世への最大の遺物』の中で後世に遺すべきものを4つあげている。「第1に、お金である。人々の助けになるから大いにお金を儲けなさい。 第2にお金よりも良い遺産とは何か?事業である。お金を用いて大きな事業をしなさい。第3に、文章・思想である。文書(本)を通して、思想を残して、人々にビジョンを、志を与え人を生かしなさい。しかしこれらが必ずしも人を生かすわけではない。第4番目、それは誰でもできること。勇ましく高尚なる生涯である。どんなに辛い時でも、へこたれないで、主を見上げて生きる。それは後世に残すことのできる最大の遺物。高尚な信仰の生涯である。」
結 論:祝福された老年を迎え、信仰の遺産を残そう!
私たちは罪人で、主の十字架の死と復活により、神の赦し受け、救われ、初めて主の恵みの道を歩むことができた祝福された者である。
だから、人は老年に至っても、いいえ生涯の最後の日まで、主に従い続け、教会と兄姉と家族の祝福を祈る者となろう。そして、信仰の遺産を子孫に残そう!
主よ感謝します。