2011/10/31

恵みの再発見

~宗教改革の3大原理~

2011年10月31日 宗教改革記念礼拝
聖書:第1コリント人への手紙15章1~10節              
説教:滝田新二牧師

1.兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。

2.また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。

3.私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、

4.また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

5.また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。

6.その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。

7.その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。

8.そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。

9.私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。

10.ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

序.今日は「宗教改革記念」の礼拝である。宗教改革者マルチン・ルターが、1517年10月31日ビッテンベルク教会の扉に「95箇条の提題」の質問書を張り出した日である。

宗教改革の3大原理は①「聖書のみ」②「恵みのみ(信仰のみ)」③「万人祭司」である。今日は「恵みのみ」について、パウロの生涯から、みことばを受けよう。

1.恵みに値しなかったパウロ  (15章7~9節) 
     
①月足らずで生まれた者 (7~8節) 
                                            
「月足らずで生まれた」とは、未熟児として生まれたという意味である。またギリシャ語で「パウロ」とは小さいという意味がある。
                              
②使徒の中では一番小さい者 (9節) 
                                             
使徒とはイエス様と共に生活し、イエス様ご自身に世界中に福音を伝えるように任命された者である。パウロは自分は必ずしもその定義にはあてはまらず、他の使徒とは比べものにならない小さな者であると、思っていた。                  

③呼ばれる価値のない者 (9節) 
                          
パウロは、かつて教会を迫害し大きな心の傷として持っていた。最初の殉教者ステパノはパウロの迫害による。(参照:1テモテ1:13~16)

13.私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

14.私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。

15.「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

16.しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 

大きな罪を犯した自分でさえ、主に愛されるという「恵みの見本」と告白している。

2.恵みを受けたパウロ  (10節)

①恵みとは、何か?

「恵み」は、ギリシャ語で「カリス」で、「喜ぶ」という言葉(カロス)から派生し、「顧みること」「親切にすること」という意味である。これが神と結びつけられると「受けるに値しない者に対する神の特別な憐れみ」を表す。親が子どもに見返りを求めずに、世話をする愛情に似ている。恵みは、神のひとり子イエス様をこの地上に遣わして、私たちの罪の身代わりに十字架に架けることによって罪を帳消しにするという具体的な行動となって現れた。一言でいうと、「恵み」は「タダ」無料である。宝石は高価であるが、人が生活するには必要ではない。人間に必要なものは、光も空気もタダで、人間の救いも、タダである。なぜなら、神は愛だから。  

②恵みは、「今の私」にした

この「神の恵み」は、すべての人に与えられている。パウロ自身「神の恵みによって、私は今の私になりました。」その恵みのおかげで今の私になったと感謝している。「今のパウロ」とは、クリスチャンを迫害して殺した赦されざる罪に悩んでいた自分から解放された私。罪を赦された私、罪に打ち勝つことができるように変えられたパウロのことである。パウロはイエス様によって罪を赦され、性格も、人生の目的も、何もかも変えられて、伝道者として主に大いに用いられたのは、ただ神の恵みによるものだと語っている。                               

③恵みは、すべてを可能にした

10節「私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」実際にヨーロッパに最初に福音を伝えたのはパウロである。パウロの働きは使徒の中でも群を抜いていた。パウロは自分は神の恵みによって一生懸命に働いたけれど、それは自分の偉さではなく、神の恵みの現れとして与えられたものなのだとへりくだって証ししている。
  
結論: 「あなたも神の恵みによって、神の栄光を現す人生の目的が与えられている」

例話: 宗教改革者 マルチン・ルター(1483〜1546年) の「恵みの体験」  
ルターは、修道院の難行苦行から、十字架の死と復活を信じる信仰義認の恵みにより、この恵みを体験して、宗教改革者へと変えられた。  

(参照:エペソ2章8~9節)「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」 

私たちも、神の恵みに感謝して、神の恵みに感動して、主婦は家事や育児に、学生は勉強に、社会人は仕事に励もう。                                

主よ、感謝します。