2011/12/13

クリスマス

~その名はインマヌエル~
       
2011年12月11日
聖書:マタイの福音書 1章16-25節
説教:滝田新二牧師 
        
16.ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。

17.それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

18.イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

19.夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。

20.彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

21.マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

22.このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。

23.「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

24.ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、

25.そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

序.今日はアドベント(待降節)第3週である。
救い主のご誕生は、マタイとルカの福音書に記されている。ルカは、母マリヤから見た誕生の様子が描かれているのに対し、マタイは、父ヨセフの立場から見ている。けれども、ヨセフの場合父親と言っても、血のつながりはなく、あくまでも法律上の父であり、養父であった事実が、その系図で明らかにされている。(16節) では、一体、救い主はどのようにして誕生したのだろうか?

1.ユダヤの結婚 (18節)

当時のユダヤの結婚には順序があった。

第1段階は、「婚約の段階」で、子どもの頃に両親によって決められた。

第2段階は、「許婚の段階」 許婚とは、法律上の結婚で期間は普通一年。

しかし実際に夫婦として生活する権利は持っていなかった。ヨセフとマリヤは、この許婚の段階にあった。

最後の段階は、「結婚式」であった。

花婿が新居を用意できたら、許婚の期間が終わり、ふたりは人々の祝福を受け、盛大な結婚式を挙げた。

2.ヨセフの試練と苦悩 (18~19節)

若者ヨセフの夢を打ち砕くような出来事が起る。婚約中のマリヤが妊娠した。まさに青天の霹靂(へきれき)で、ヨセフの心は、動揺し、苦渋し、将来への不安で満ちた。ヨセフは、マリヤを姦淫の罪で裁判に訴えることもできたが、ルールに縛られた石頭の律法主義者ではなかった。ヨセフは、正しい人であると同時に愛の人でもあった。マリヤを内密に去らせ、密かに離婚することを考えた。しかしマリヤのお腹は世間の目を欺けなくなる時がくる。夜も眠れず思い悩むヨセフに、主の使いが現れた。

3.主の使いの受胎告知  (20~25節)

「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです」と、主の使いはヨセフがダビデ王の子孫であることを思い起こさせ、マリヤが生むのは神の遣わす救い主であると励ました。思い悩むヨセフの心に、神の約束の御言葉による平安がもたらされた。私たちの人生に真の平安をもたらす秘訣は、神のみことばである。ヨセフは、ご自分の民をその罪から救ってくださる男の子をわが子として愛し、育てることのできる光栄に喜びが湧き上がったことだろう。そしてヨセフは主に従った。ヨセフは夢を打ち砕くような出来事に出会っても、自分の苦しみよりも人の苦しみを思いやる人。救い主が生まれるまではマリヤを知ることがなく、守るべき者のために自分を捨てる人。また何よりも主の最善を信じる人。それが神の人ヨセフであった。私たちは、このヨセフのような愛で人を愛し、主を愛し、主に従順しているだろうか?

結論:「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」(22~23節)

ヨセフが困難の中にあって愛に富む生き方ができたのは、ヨセフと共に歩まれた神の愛によると聖書は教えている。イエスとは「主は救ってくださる」という意味がある。

クリスマスの素晴らしいニュースは、主があなたとは無関係でどこか遠くにおられるのではなく、今ここに、あなたと共におられることである。  

主は、人として生まれ、私たちと共に歩み、私たちのために最善をなすことを、この上ない喜びとされるお方である。まさに愛そのものであるという驚くべき知らせである。 

アドベントの礼拝で、私たちがしなければならないのは、ただ2つのことである。1つは、聖い全能の神があなたを愛する余り、私たち人間のひとりになられたと信じること。2つは、自分が愛に欠け、いかにひどい罪人であるか、イエス様の救いを必要としているかを認め、心に受け入れることである。

あなたが、イエス様を救い主として信じ、心と人生にお迎えする時に、あなたは、主ご自身と親しく交わり、神の愛のうちに憩うことが、この世のすべてにまさる喜びであることを知るようになる。こうして、あなたもヨセフのように、神と人を愛する神の人へと変えられるのである。

主よ謝します。