2012年1月29日
聖書:ヨハネの福音書15章1~12節
説教:滝田新二牧師
1.わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
2.わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
3.あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
4.わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
5.わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
6.だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
7.あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
8.あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。
9.父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
10.もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
11.わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。
12.わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
序.本日は「第40回年次総会」である。この40年の教会の主の導きと祝福に心から感謝します。40年とは、旧約の民が40年の荒野の旅が終わり、約束の地カナンに入る年である。つまり、教会が成熟して地域社会で宣教と隣人愛の業が拡大して、影響力をもたらす教会となることが期待されている。そのためには、私たちひとりひとりが主につながり、実を結ぶ弟子として成長することである。
1.わたしにとどまりなさい。(15章4~6節)
「あなたがたは多くの実を結ぶ」(2・5・8節)ここに祝福の約束がある。4節「わたしにとどまりなさい」 イエス様のご命令に従う時に「わたしも、あなたがたの中にとどまります」これが主のお約束である。私たちが「まことのぶどうの木」であるイエス様に「枝」のようにとどまる時、主が私たちの心の内に住んでくださり、自然と「多くの実を結ぶ」という結果になるのである。あなたも、多くの実を結ぶ主の弟子となりたいと願わないだろうか?
2.みことばと祈りで、主にとどまる (15章7節)
7節「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」 「主にとどまる」とは、主のみことばにとどまることである。みことばがあなたの心の中にとどまり、あなたがそのみことばに生かされる。
例話:日野原重明先生(聖路加国際病院の理事長)の本 『子どもを育てる聖書のことば』の中で語っている。
「100年の歩みを振り返り、牧師の家庭に生まれ、子どもの頃に心に刻んだ聖書の御言葉がいかに自分を生かしてきたのか」に驚いている。1970年、58歳の時、「よど号」のハイジャック事件に遭遇し、「予期しない出来事」の中で心に真っ先に浮かんだものは、日曜学校で暗証した聖書の御言葉であった。マタイ8:26『“なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。”それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。』 50年の時を経て、心にとどまっていた御言葉が予期しない人生の嵐の中で、不思議な平安を心にもたらした。みことばに力がある。 祈祷会や女性会、デボーションを大切にしよう。「主にとどまる」とは、また同時に「教会にとどまり」「礼拝にとどまる」ことでもある。 主のみことばの共同体であり、神の家族である教会につながり、礼拝に出席することで主の祝福を受ける。
3.主の愛にとどまる (15章9~12節)
例話:中世の偉大な神学者アウグスチヌスは、主に対する服従を譬えて、「それは犬が鎖につながれて飼い主の後についていくようなものではなく、鎖から放された犬が、喜んで飼い主の後についていくようなものだ」と語った。イエス様ご自身も、父なる神様に喜んで従い、しかも、ご自分の自由意志で、十字架を選ばれて、父なる神に従順した。そこには父・子・御霊の三位一体の愛と自由の交わりがあった。イエス様は父の愛の中にとどまっておられた。主の愛は、あなたにも今も豊かに注がれている。ただ、注がれている太陽の光も、遮光カーテンを閉め切っているので届かない。それを開く必要がある。私たちは、主の御言葉を受け、愛の光の中にとどまっていないと、奉仕も伝道も力を失い、喜びも平安も無くなり、やがて不平不満で、感謝もなくなり、枯渇してしまう。イエス様の愛にとどまり、三位一体の神との愛と信頼の交わりを楽しもう。自由と喜びに解放されよう。
結論:実を結ぶ弟子となろう! (15章8節)
8.節「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」
私たちは2つの実を結ぶようになる。
(1)御霊の実を結ぶ。(ガラテヤ書5章22~23節)
すべてのクリスチャンへの約束である。あなたはしゅにとどまり、キリストの似姿へ成長する。
(2)御霊の賜物の実を結ぶ。(ローマ人への手紙12章5~8節)
キリストの体(教会) を建て上げるための賜物が与えられる。これはひとりひとり賜物は異なる。あなたも主の祝福を受けて、主の弟子としてキリストの似姿に変えられ成長し、仕事の実・奉仕の実・証しの実を結ばさせて頂こう!そして教会のビジョンの実現のために神と人々にお仕えしよう。
主よ感謝します。