~アブラハムの生涯⑥~
2012年2月19日
聖書:創世記15章1~6節
説教:滝田新二牧師
1.これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
2.そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
3.さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。
4.すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
5.そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6.彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
1.恐れの中のアブラハム (1節)
「主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。“アブラムよ。恐れるな。」(1節)
先週、アブラハムの信仰義認を学んだ。この時、彼は大きな恐れの中にいた。14章の戦いと勝利の結果、敵のケドルラオメル王が復讐に来るかも知れない恐怖と、死海の邪悪なソドムの王との同盟を拒否し、新たな敵になる不安があった。その上、年老いたアブラハム夫婦には約束の子が与えられず、跡取りがいなかった。将来への大きな不安と恐れの中にいた。主は、それをご存知で彼に優しく語りかけた。1節「アブラムよ。恐れるな。」と励まされた。このアブラハムの姿は、実は私たちの姿でもある。 人の心には、様々な思いが沸き起こり、不安や恐れとなって、さざ波がいつも寄せては返す。私たちも、受験や仕事、経済や家族や老後の事、やがてすべての人におとずれる死の不安がある。
2.主は盾である (1節)
1節「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。」
「盾」は昔の戦いで自分を守る武器である。現代の家やパソコンを守るセキュリティ・システムと言える。「神が私たちの盾である」という比喩的な表現は、旧約聖書を通しては、多くの人々を励ましている。
(参照:申命記33章29節「主はあなたを助ける盾である」 他に、詩篇3:3.7:10.8:8.33:20.115:9~11.119:114。新約はエペソ6:16などがある。)
3.日々の戦いの中で
私たちの日常生活は、一歩外に出ると何が起るか分からない。通り魔事件や人からの悪意や皮肉、中傷・あざけり、おどし等などが私たちに襲ってくる。しかし、もしそれらの敵よりも強力な盾となってくださる真の神に信頼するならば、私たちは衣服の下に防弾チョッキを付けているようなもの。あらゆる敵からあなたを守ってくれる。神に信頼する者に対して、イザヤは54章17節で語っている。 「あなたを攻めるために作られた武器は、どれも役に立たなくなる。」主はあなた守られる。さらに創世記15章1節「あなたの受ける報いは大きい」と言われた。これは私たちに対する約束でもある。主は外敵からあなたを守ってくださるだけではなく、あなたの空虚な心を満たすことのできるお方である。クリスチャンの一番大きな報いは何か? 主なる神をあなたが持っている事、キリストという永遠のいのちの祝福を受けことである。
例話:ビルマ宣教の父アドニラム・ジャドソン(1788~1850)
アメリカより宣教師としてミャンマー(昔のビルマ)に派遣され、苦労の末、聖書をビルマ語に翻訳したビルマ宣教の父と言われています。ジャドソンがちょうど聖書をビルマ語に翻訳し終わった頃、1824年にイギリスとビルマとの間に戦争が起こった。イギリス人と間違えられ投獄されました。幸いに夫人は捕えられなかったので、夫が長年苦心して訳した聖書の草稿を人に奪われないようにと家の床下を掘って地中深く埋めて隠した。だが雨季が間もなくやって来て、腐る恐れが出てきたため、永く地下に隠しておけなくなった。夫人は知恵をしぼって一策を考え出した。原稿を掘り出して、よく重ねて巻き、それを綿で厚く包み、その上に布をもって覆い、ジャドソンの枕として牢屋に差し入れた。ジャドソンも大変喜び、安心していました。9ヶ月後、さらに厳重な牢屋に移され、翌朝、他の100人と共に処刑されることになったのです。
足かせをかけられ、大切な枕を奪われました。自分の命がまもられる事よりも、大切な枕がなくならないようにと熱心に祈って一夜を明かした。処刑直前に、なぜかジャドソンの死刑が中止となり、他の牢屋に入れられます。さらに不思議なことには前に用いていた枕が再び彼のところに入れられたのです。だが喜んだのはつかの間で、またその枕を看守が取り上げられてしまったのです。その看守は上に巻いてあった綿をはぎ取り、芯になっていた原稿をほご紙だと思い、ゴミ溜に捨ててしまったのです。ところが、さらに奇妙なことが起きます。ビルマ人の一人のクリスチャンが、これを拾って、敬愛するジャドソン宣教師の持ち物だとわかったので、これをしまっておいたです。やがて戦争が終わって、再び草稿がジャドソンの手に戻り、1834年、最初のビルマ語の聖書が発行されます。 ジャドソンの労により、ビルマ族、カレン族、モン族の間での開拓の働きがなされました。ジャドソン宣教師の死から100年後、1950年には、この国の教会によれば、約20万人のクリスチャンがいるとの統計が出されました。さらに50年を経た現在、およそ4百万人、人口の8%のクリスチャンがいるといわれています。 ある新聞記者が、アドニラム・ジャドソンにインタービューして、「 あなたは初代教会の使徒のような人です。 」と言いました。これを聞いたジャドソンは、大変心苦しく思い、こう言ったそうです。「私は昔の使徒と比較されるような人物ではありません。昔の使徒のようになりたいとも望んでもいません。私の願いは、ただいくらかでもキリストに似た人間になりたいという、ただそれだけです。」主を愛し、主を恐れる者は、主があなたの盾となって下さる。
結論:「主はあなたの盾です」
①あなたの盾であるイエス様を、心にお迎えしよう。
②あなたが盾となって、人々に仕えよう。
家族や友、主を知らない人々に、人生の盾である救い主イエス様を伝え、あなたも盾となってあげよう。
主よ感謝します。
2012/02/13
天を見上げなさい
~信仰義認~ アブラハムの生涯⑤
2012年2月12日
聖書:創世記15章1~6節
説教:滝田新二牧師
1.これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
2.そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
3.さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。
4.すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
5.そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6.彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
序.アブラハムの生涯は、3期に分けられる。
①「アブラハムの信仰の生涯の出発と初期」(12~14章)。
②「アブラハムの信仰の試練の時期」(15~22章)。
③「アブラハムの信仰の円熟期と死」(23~25章)。
今日は、第2期の始めである。4千年前、星空を見上げアブラハムは数え切れない神の祝福の約束を仰ぎ見て信じた。
1.アブラハムの恐れ? (15:1)
「これらの出来事の後」とは、14章のエラムの王ケドルラオメル王の大軍に捕らえられた甥のロトとその家族と持ち物を奪還するための命懸けの戦争の後である。人間には、外に現れて見える所と、心の中の見えない所と両方が必ずある。表面は立派に見えても、心の内側はそれとは反対だという場合もある。アブラハムは、神の約束はあっても、現実には後継ぎがいない。神の約束に対する疑い、将来への不安や恐れを心に抱いた。誰しも自分の心の真相、心の闇に愕然とする。
2.アブラハムへの主のみことば (15:1~5)
幸いなことは、私たちの不安や恐れを、私たち以上にご存知の主がおられることである。「恐れるな。 わたしはあなたの盾である。」とは、すべて人への温かい、慰めの御言葉である。天地を創造した神があなたを守って下さる。4節「主のことばが彼に臨み」主の圧倒的な迫りである。アブラハムを再び立ち上がらせ、希望を与え、信仰に導くものはいつも神の御言葉であった。たとえ現実がどうであれ、アブラハムから生まれる者が後継ぎとなる。私たちは、主の御言葉を、自分の常識、可能性の上に立って受け取ろうとする。だから、主の言葉が主の言葉ではなくなってしまう。 5節「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」 これは実物教育である。満天の輝く星を誰が数えることができようか? 神の創造された無数の星を有限な人間が数えることなどできない。神の御業は人の計りを超えて無限である。主は天の星を通して、アブラハムのチッポケな自分の常識、経験や可能性で、目の前の事を図ろうとする愚かさを、徹底的に粉砕された。「あなたの子孫はこのようになる」 神の約束は必ずなる。可能性はただ神にある。私たちの救いも、徹頭徹尾、主の恵みである。
3.アブラハムの信仰義認 (15:6)
6節「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」アブラハムは、そのまま信じ、主はそれを義とされた。パウロは、ローマ書で、この言葉を引用している。人はただ信仰だけで救われる。これが信仰義認である。
結論:『信仰によって救われ、義認の恵みを受けよう』(ローマ4章23~25節)
23.しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
24.また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
25.主イエスは私たちの罪のために死に渡され私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
私たちもこの信仰で救われる。信仰とは、あなたの側が、どういう状態であれ、神の側で全部成し遂げてくださったイエス様の十字架の救いを、ただ素直に受け取り、信じて救われる事である。これが神の恵みなのである。この救いの恵みに感謝し、いつも天を見上げ、主の約束をただ信じ受け、主の祝福にあずかろう!
主よ感謝します。
2012年2月12日
聖書:創世記15章1~6節
説教:滝田新二牧師
1.これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
2.そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
3.さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。
4.すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
5.そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6.彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
序.アブラハムの生涯は、3期に分けられる。
①「アブラハムの信仰の生涯の出発と初期」(12~14章)。
②「アブラハムの信仰の試練の時期」(15~22章)。
③「アブラハムの信仰の円熟期と死」(23~25章)。
今日は、第2期の始めである。4千年前、星空を見上げアブラハムは数え切れない神の祝福の約束を仰ぎ見て信じた。
1.アブラハムの恐れ? (15:1)
「これらの出来事の後」とは、14章のエラムの王ケドルラオメル王の大軍に捕らえられた甥のロトとその家族と持ち物を奪還するための命懸けの戦争の後である。人間には、外に現れて見える所と、心の中の見えない所と両方が必ずある。表面は立派に見えても、心の内側はそれとは反対だという場合もある。アブラハムは、神の約束はあっても、現実には後継ぎがいない。神の約束に対する疑い、将来への不安や恐れを心に抱いた。誰しも自分の心の真相、心の闇に愕然とする。
2.アブラハムへの主のみことば (15:1~5)
幸いなことは、私たちの不安や恐れを、私たち以上にご存知の主がおられることである。「恐れるな。 わたしはあなたの盾である。」とは、すべて人への温かい、慰めの御言葉である。天地を創造した神があなたを守って下さる。4節「主のことばが彼に臨み」主の圧倒的な迫りである。アブラハムを再び立ち上がらせ、希望を与え、信仰に導くものはいつも神の御言葉であった。たとえ現実がどうであれ、アブラハムから生まれる者が後継ぎとなる。私たちは、主の御言葉を、自分の常識、可能性の上に立って受け取ろうとする。だから、主の言葉が主の言葉ではなくなってしまう。 5節「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」 これは実物教育である。満天の輝く星を誰が数えることができようか? 神の創造された無数の星を有限な人間が数えることなどできない。神の御業は人の計りを超えて無限である。主は天の星を通して、アブラハムのチッポケな自分の常識、経験や可能性で、目の前の事を図ろうとする愚かさを、徹底的に粉砕された。「あなたの子孫はこのようになる」 神の約束は必ずなる。可能性はただ神にある。私たちの救いも、徹頭徹尾、主の恵みである。
3.アブラハムの信仰義認 (15:6)
6節「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」アブラハムは、そのまま信じ、主はそれを義とされた。パウロは、ローマ書で、この言葉を引用している。人はただ信仰だけで救われる。これが信仰義認である。
結論:『信仰によって救われ、義認の恵みを受けよう』(ローマ4章23~25節)
23.しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、
24.また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。
25.主イエスは私たちの罪のために死に渡され私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。
私たちもこの信仰で救われる。信仰とは、あなたの側が、どういう状態であれ、神の側で全部成し遂げてくださったイエス様の十字架の救いを、ただ素直に受け取り、信じて救われる事である。これが神の恵みなのである。この救いの恵みに感謝し、いつも天を見上げ、主の約束をただ信じ受け、主の祝福にあずかろう!
主よ感謝します。
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